プロ野球やJリーグでは皆がマスク着用を徹底し声を出さず太鼓や拍手だけで応援し、有観客で問題なく試合観戦が行われていて、音楽ライブでも皆がマスク着用を徹底し声を出さずスティックバルーンで盛り上がっていて集団感染や感染拡大を防げているというのに、東京オリンピックは開催反対派の根拠なき批判と根拠なき不安感の煽りに負けて無観客となってしまった。
根拠なき不安感に負けたと言えば、「ロック・イン・ジャパン・フェスティバル2021」も似たようなものだろう。
開催地の地元医師会などからの中止要請により中止が決定された。
地元の根拠なき不安感には勝てなかったのだろう。
さらに、中止決定に批判的な主張をしていた人物が、「根拠なき不安感」を「根拠のある不安感」に変えるようなことをしていたとなれば、もはや何も言えない。
■野田洋次郎氏の「ロック・イン・ジャパン・フェスティバル」中止と五輪開催に対する批判
毎日新聞 「『RADWIMPS』野田洋次郎さん、五輪開催に不満ツイート」
■その後明らかにされた野田洋次郎氏の行動
NEWSポストセブン 「RADWIMPS野田洋次郎『泥酔&ハグ』朝まで男だらけの泥酔誕生日会」
政府や世の中を批判するのも結構だが、自身の行動がその説得力を失わせ、開催地の「根拠なき不安感」を「根拠のある不安感」にしてしまった。
「ロック・イン・ジャパン・フェスティバル」は多くの若者が集まって大騒ぎするから感染拡大するのでは?という不安感であれば、他の有観客ライブではしっかりと対策も徹底できているという説得も可能だっただろう。
だが、出演者自身が感染しやすい行動を取っていたとなれば、こういう人たちが集まるわけでしょ?というある程度の根拠がある不安感になってしまい、もはや説得は不可能で何も言えない。
野田洋次郎氏の言動が、「根拠なき不安感」を「根拠ある不安感」に強めるだけでなく、やっぱり「ロック・イン・ジャパン・フェスティバル」は中止にしてよかったねという納得感までも与えてしまった。
この件から分かったのは、何事にも腐らず、偽らず、プラス思考で地道に頑張ることが一番の近道なのだということ。
それと、東京オリンピックもそうだが、プロ野球やJリーグの有観客試合での実績という明確な客観的事実ではなく、明確な根拠はないが不安、不満といった感情や、感染拡大を不安視してよりも政治的な意図で開催反対を主張している者たちによる批判や不安を煽るような行為によって物事を決定しているという現状は、筋の通った状態とは言えない。
かつての太平洋戦争は、それが正しいという明確な根拠もなく、勝てるという明確な根拠もなく、政府の体面や政府・報道に煽られた国民感情によって開戦に至った。
不安、不満、怒りといった感情で物事を決めた結果どうなったか?
日本国民なら知っているはずだ。
野党側はしきりに「人権」、「命」、「平和」といった言葉を使って批判しているものの、実際行っていることは国民の不安を煽るなど、国民感情で国を動かそうとしている。
つまり、「人権」、「命」、「平和」といった言葉を使ってはいても、やっていることは過去の過ちと同じことということ。
明確な根拠ではなく一時の感情で決めたはいいが、後になって後悔したことはないだろうか?
戦争に限らず何事に対しても感情で物事を決めてしまうのは危険だと思う。