日本の実状と実情を知らないフランス紙が、自身の無知と想像力の欠如を恥ずかしげもなくさらけ出している上っ面だけの薄っぺらい浅はかな主張。
そして、そんな主張にまんまと煽られる一部国民。
そんな主張の大元はどこなのか?
YAHOO!ニュース 「フランス紙が東京五輪を大特集『なぜ日本国民にしなかった対策を外国の選手団のためにはするのか』」
(海外紙を日本語に翻訳しているクーリエ・ジャポンの該当ページ)
在東京特派員が「日本の不満を高める五輪」と題して記事にしたものらしいが、明確な根拠のない感覚、感情だけでの勝手な断定から始まっている。
「政府は、PCR検査数を増やすこともなく、ワクチンの提供を急ぐこともなく、医療体制を強化することもなく、必要な資金援助をすることもなく、1年以上もウイルスの蔓延を放置している」
「政府は、PCR検査数を増やすこともなく」とあるが・・・
検査数の増減で言えば増えている。そもそも、PCR検査数が多ければどうだと言うのか?感染者が減るのか?感染拡大を抑えられるのか?
だとしたら、日本よりも遥かに多くのPCR検査を実施している国々で、なぜ、日本よりも遥かに多くの感染者数となっているのかを科学的に説明しなさい。
「ワクチンの提供を急ぐこともなく」とあるが・・・
何を基準に急いでいる、急いでいないを判定しているのか?単なる個人の印象でしかない。
日本はワクチンを製造しておらず、EUやアメリカの許可なしにワクチンを入手することはできない。
欧米諸国が自国優先な状況下において十分な量のワクチン購入契約を済ませ、小分けではあるが、確実に入手出来ている時点でまあまあの対応だと言えるし、各自治体での接種だって急いでいないわけではない。
保健所などの公務員、医療従事者が毎日残業をしながら進めているはずだ。現場を見たのか?私は現場を知っているし、現場に友人や知り合いがいる。
「医療体制を強化することもなく」とあるが・・・
医療体制強化のために何もしていないの?どうなれば強化したことになるの?その基準は?と問われて明確に答えられるだろうか?
これも、単なる個人の印象、願望でしかない。
医療機器やベッド数を増やしても、それを担当する人がいなければ意味がないし、そこら辺の人を連れてきて看護師にするわけにもいかない。
医療全体の体制としても、これまで日本は比較的自由な体制だったため、大学病院が多い地域もあれば、公立病院が多い地域もあり、民間病院しかない地域もあるなど、各都道府県、地方、地域で様々だ。
それゆえ、厚生労働省の全国一律な政策が全国一律に通用しない。
こればかりは、1年、2年でどうこうできるものではない。これが現実。
「必要な資金援助をすることもなく」とあるが・・・
これだけは同感だ。
ただ、資金援助をするということは、一時的に財政が悪化することにもなる。その覚悟をしたうえで資金援助を希望しなければならない。
「1年以上もウイルスの蔓延を放置している」とあるが・・・
ウイルスの蔓延に対し政府ができることとしては、法律によって外出などの行動を制限することくらいだろう。そういった面では、日本にはまだ強化できる余地がある。
マスク着用義務化、外出禁止令、その違反者に対する罰則などが可能だろう。だが、これには立法が必要だ。必要な立法をしない国会にも責任はある。
そして、政府がどんな政策を実施しようが、個人が感染するか感染しないかは個人の行動次第だ。そういったことから、ウイルスの蔓延は政府だけの責任ではなく、国民にもある。
よって、「1年以上もウイルスの蔓延を放置している」のは、政府だけでなく、国会の与野党議員も国民も同様だ。
「医療は限界 五輪やめて! もうカンベン オリンピックむり!」。窓に貼られたメッセージを通して現場の思いを訴えた東京・立川市の病院の看護師はこう同紙の取材に語る。
「看護師たちをオリンピックに派遣するよう求められていますが、私たちが患者を見捨ててアスリートの面倒を見に行くと思いますか? 現実的ではありません」
とあるが、そもそも、政府が、「コロナ患者を見捨ててアスリートの面倒を見るよう派遣を求めていると思いますか? 現実的ではありません。」と言いたい。
いつ、誰が、「コロナ患者の対応をやめてオリンピックに」なんて言ったのでしょう?
医師や看護師の中にはコロナ患者の対応は技術的、経験値的、精神的、身体的、家族の事情などなどにより難しいが、負傷者の対応や急病人の対応なら可能だという人もいるでしょう。
これが現実だ。
それに、立川市の立川相互病院の貼り紙には政治的な思惑も含まれているように思える。
国立市議会の日本共産党議員を応援している人の中に、院長、副院長の名があり、さらにその下にはオリンピック中止署名を集めた宇都宮健児氏の名もある。
あの貼り紙が政治的な思惑なしの行いだとしたら、なぜ、立川相互病院を皮切りに他の病院でも同様のことが起こらないのか?
やはり、違いは政治的な思惑があるかないかだろう。
ちなみに、宇都宮健児氏が集めた35万の署名も、多くは共産党関係者で、残り一部はそういった人たちと同じ考え方の人たちなのだろうと推測できる。
さらに、オリンピック期間中、3万人の選手団とその関係者へのPCR検査が毎日予定されている。リベラシオン紙は、日本のPCR検査数の少なさや、ワクチン接種の遅れにも懸念を示す。
「東京で1日3万回の検査が可能なのであれば、なぜ住人には提供しないのか。無料でPCR検査を受けるには処方箋が必要であり、自分の希望で受けるには検査に最大250ユーロ(約3万3000円)も払わなければならない。さらに、1億2700万人の国民がいるなか、抗原検査は1日5000件にも満たない」。こう矛盾を問いかける。
ここにも無知がうかがえる。
まず、前提として、オリンピック関係者への毎日のPCR検査は、オリンピック関係者内部での感染を防ぐためでもあり、オリンピック関係者から国民への感染を防ぐためでもあろう。
そして、なぜ、それを国民には実施しないのか?
不可能だからだ。
1億2700万人を毎日PCR検査できるわけがない。
「いや、オリンピック関係者に毎日検査するくらいなら、国民への検査を増やせよ!」と言いたいのだろうが、知らないのだろうか?
中途半端なPCR検査に何の意味も効果も無い。
「いつでも、誰でも、何度でも」と掲げていた世田谷区のPCR検査は、実際は1か月~数か月の頻度で高齢者施設従事者に行っていたが、施設内での集団感染は防げておらず、最近は増加している。これが現実。
1か月に1回のプロ野球、2週間に1回のJリーグでもチーム内の集団感染を防げておらず、数人の感染が判明して試合延期となることが絶えない。これが現実。
新型コロナウイルスは、感染直後から1日目、2日目のPCR検査ではウイルスを検出できずに陰性になる可能性が高く、多くの人が発症するのは5日目あたり、発症の2日前から他者への感染が始まると言われている。
1か月に1回の検査では「ざる」どころか「底のないバケツ」だし、1週間に1回の検査でも「ざる」だ。
感染して1日目、2日目では発見できないことを考慮すると、最低でも1日おきか2日おき、最善は毎日PCR検査しなければ、他者へ感染させる前に感染に気付かせることはできない。
それを1億2700万人には不可能でも数万人であれば可能なので、オリンピック関係者からの国内への感染拡大を防ぐためにも、可能な範囲内であるオリンピック関係者には実施するということ。
PCR検査で感染拡大を抑えるには、毎日の検査でなければ意味がない。
1億2700万人に対しそれは不可能でPCR検査で感染拡大を抑えることができないので、必要な人に対してのみPCR検査するのが、1億2700万人という規模に対するPCR検査の使い方としては最善ということ。
全員への毎日のPCR検査が可能な規模であれば、それを実施するのが最善ということ。
PCR検査とは何か、PCR検査によって感染拡大を抑えるにはどのような検査の仕方が必要なのかを理解すべきだろう。
ワクチン普及の不公平感についても同様だ。選手団は優先的にワクチンを摂取できることについて、首相は「IOCがファイザー社と交渉して割り当てられたものだ」と言うが、「一般の国民たちは待たされたままだ」。
と、不公平についても書いてあるが、これも無知なうえに想像力も欠如している。
オリンピック関係者へのワクチンはIOCが調達し、接種は当然オリンピック開催前に済ますものだ。
1回目の接種から3週間後に2回目の接種が必要なので、おそらく、日本国内ではなく自国で接種することになるだろう。
なので、ワクチンの調達においても、接種においても、我々日本国民には何ら影響のないこと。
「一般の国民たちは待たされたままだ」とあるが、全国民に必要なワクチンは調達できているし、オリンピック関係者への接種は各国で行うだろうし、国民1億2700万人が一斉に接種できるわけもなく、必ず待つ人は存在するのだから、オリンピック関係者と対比し「待たされたままだ」と主張するのは筋違いだ。
正しく状況を把握して、どこに影響があるのか、何と何を対比すればよいのかを正しく判断できるようになってから記事を書いた方がいいだろう。
こんな現実とは異なる勝手な印象、感覚、感情だけで書かれた記事を書くフランスの「リベラシオン」には思考の偏りを感じるし、こんな低レベルな記事を取り上げ日本語に翻訳して国内に報じている「クーリエ・ジャポン」にも思考の偏りと何らかの思惑を感じる。
その思惑とは、上記に記載した日本共産党に行きつくのではなかろうか?
そうでないとしたら、どこにどんな思惑があるのだろう?思いつかない。
ただ、「リベラシオン」の記事には選手たちの声も掲載している。
リオ五輪の200メートル競走で銅メダルを獲ったクリストフ・ルメートル選手
「(日本の状況については)ほかの人と同じ情報しか持っていませんが、信頼しています。よほど状況がひどく悪化しないかぎり、五輪は開催されると考えています」
「無観客にはなるでしょうが、対策が施され、世界でもっとも重要であり、もっとも象徴的なスポーツ大会が開催されると思います」
フェンシングのヤニック・ボレル選手
「準備の真っ只中。(日本の公衆衛生の状況については)あまり注意を向けないようにしている」
「延期の発表以来、いろいろな噂が流れましたが、どれも打ち消されてきました。公式発表がないかぎり、開催を前提にトレーニングを続けます。開催を信じない理由がありません」
安全に開催されることを前提に、様々な批判という雑音に惑わされぬよう、トレーニングに取り組んでいる。
こういった選手たちのためにも、如何にして開催できるかを考え、公式発表がなされるギリギリまで精一杯開催に向け準備をするのが日本の、日本国民のすべきことなのではなかろうか?
ワクチンの調達、接種の順番待ち、1億2700万人の規模には意味のない中途半端なPCR検査を持ち出して筋違いな批判をしたところで、世の中にとって何の得になるのだろう?
最善は、安全な状態でのオリンピック開催だろうに、中止に追い込んで誰が喜ぶのか?
中止になって喜ぶ連中・・・
さて、どんな連中でしょう?
日本国民はそんな連中にまんまと煽られ、「開催に向け頑張る」というプラス思考よりも、「中止に向け頑張る」というマイナス思考の状態になっている。
マイナス思考で頑張ったとして、得られるものはあるだろうか?
少なくとも、まだ半人前の私の人生を振り返っても、マイナス思考で成功した事例はなく、後に後悔することが多かった。
開催に向け感染せぬよう頑張り感染者を減らすのか、中止に向け頑張り感染者を減らすのか?ということなのだろうか?
中止にしても国民の気が緩んでいれば感染拡大は抑えられないだろうし、中止にしても国民の気が緩んでいれば次の感染拡大は起きるだろう。
オリンピック云々ではなく、我々のウイルス感染に対する意識の問題の方が事を大きく左右するように思うが、とりあえず、オリンピックのせい、政府のせいにしたいのだろう。
感染するか感染しないかの本質はそこではないだろうに。