東京オリンピック開催に対して、私は東京へのオリンピック招致の時点から反対していた。
それは、東日本大震災の復興が終わらぬうちに東京でお祭り騒ぎなんぞするな!と思っていたから。
前回の東京オリンピックだって沖縄と小笠原諸島がまだアメリカに占領されている状況で、沖縄と小笠原諸島を置き去りにして東京でお祭り騒ぎをしていた。
今回も被災地を置き去りにして東京でお祭り騒ぎするつもりか?ということで反対だった。
しかし、私個人が反対したところでどうしようもなく、東京オリンピック招致が決定した。
決定してもなおグダグダ文句を言うのは雑音になるので、それ以降は、「やるからにはしっかりと成功させるべき!」という考えに変えた。
ところが、このコロナ禍が発生。
オリンピック選手でもない、関係者でもない、オリンピックで金儲けを企んでいたわけでもない、ただ見るだけの人たちからすれば、「新型コロナウイルスで大変なんだから中止すべきだ!」となるだろう。
なので、人によってはこんなことが平気でできてしまう。
産経新聞 「池江選手に五輪辞退求める声 ツイッターで心境『とても苦しい』」
競泳女子の池江璃花子選手(20)=ルネサンス=が7日、会員制交流サイト(SNS)を通じて代表の辞退や五輪への反対を求めるメッセージが寄せられていることをツイッターで明かし、「この暗い世の中をいち早く変えたい、そんな気持ちは皆さんと同じように強く持っています。ですが、それを選手個人に当てるのはとても苦しいです」と心境をつづった。
オリンピックを目指しているスポーツ選手は人生をかけて日々トレーニングを行い、自身の限界まで力を発揮しようとしている。
そういった人たちに代表の辞退やオリンピック開催に反対して欲しいなどと言う人たちは、同じく人生をかけての判断なのだろうか?、自身の限界まで考えに考えての意見なのだろうか?
オリンピックを目指す選手の日々の頑張り、信念、思い、今の気持ちなどを考えに考えての主張とは思えない。
上っ面だけしか考えず、自身の不安感が最優先だったり、もしかしたら、政府批判をしたいがためなんて人もいるのではなかろうか?
オリンピック選手だって、どんな状況であろうとも開催して欲しいなどとは思っていないはず。
実際、池江選手も、
私も、他の選手もきっとオリンピックがあってもなくても、決まったことは受け入れ、やるならもちろん全力で、ないなら次に向けて、頑張るだけだと思っています。
と言っている。
そして、
1年延期されたオリンピックは私のような選手であれば、ラッキーでもあり、逆に絶望してしまう選手もいます。
とも言っている。
若い選手であれば、中止になっても次を目指せば済むかもしれない。しかし、競技や年齢によっては、今でなければ人生をかけてやってきたことが終わるという選手だっているだろう。
そういった選手のことを考えると、人生をかけているわけでもなし、自身の限界まで考えに考えたわけでもない、そんな人が「中止せよ!」などと主張するのも、ギリギリまで精一杯開催に向けて頑張りもせずに開催を諦め中止にするようなことも許せない。
オリンピックは、「ただ見るだけの人」のために開催するものではない、金儲けのために開催するものでもない、主役は、やっとの思いでオリンピック出場権を手に入れた選手だ。
第一に選手のことを考え、もはや、赤字になろうと、無観客になろうと、最後の最後、選手が競技できる場を設けるだけでもいいから開催に向けギリギリまで尽力すべきだ。
それでも開催ができず中止なり延期になったとしたら、人生をかけ、自身の限界まで頑張っている選手たちも納得できよう。
様々な不安感に駆られオリンピック開催に反対している人たちにとって、東京オリンピックが中止になればその不安感は消え去るのだろうか?
まぁ、自身の不安感が消え自身は安心し穏やかに生活できたとして、人生をかけ、限界を目指し頑張っていた選手たちはどうなるのか?どうしてくれるのか?
私には解決策が思いつかない。
「また頑張ればいいじゃない。」、「次の大会に出場すればいいでしょ。」などという慰めの言葉でもかけるつもりだろうか?
その言葉、東日本大震災の津波で思い出とともに家を失った被災者に対し、「また家を建てればいいじゃない。」と言っているようなもの。
東日本大震災で家族を失った被災者に対し、「また結婚して家族を作ればいいじゃない。」と言っているようなものだ。
人生をかけ、日々こつこつと自身の限界まで頑張ってきた人にとって、オリンピック出場権を得ながら中止になるということは、家族とともにこつこつと築き上げてきた家を突然失うようなものだろう。
私にはそのように想像できるので、選手に対して「代表を辞退して」とか、「オリンピック開催に反対して」などという、選手の心など考えもしない薄っぺらい上っ面だけの有害な言葉を選手に投げつけることなどできない。
人生をかけ、自身の限界まで頑張っている選手のために、開催に向け限界まで尽力するのが筋でしょうよ。
そのうえで、新型コロナウイルスの対応、状況により不可能であれば仕方のないこと。
限界まで尽力したうえでの中止となれば、選手も納得できるだろうし、開催に向け頑張っていた人たちも、見るだけの私たちも、「あの時こうしていれば開催できたかも」などという後悔をすることもないだろう。