外国人観客を受け入れず、日本国内の観客すらどうなるか明確に決まっておらず無観客での開催も選択肢にあるわけだが、無観客でのオリンピック開催さえもできないなら、人間は昨年から何も進歩していないということだろう。

 

目に見えないものに不安を抱くからこそ、感情や感覚、雰囲気というもので判断せず、科学的に判断するべきだと私は思う。

 

そういった観点からすれば、文春オンライン上の真山仁氏の主張は実に非科学的だ。

 

文春オンライン 「菅首相は日米首脳会談で五輪中止を明言せよ」

 

 

さて、この真山仁氏は、何を根拠に五輪中止せよと主張しているのか?

 

今まさに日本中を聖火ランナーが走っていますが、その心中の複雑さを思うと正直気の毒です。世論調査では7割近くの国民がオリンピックの中止・延期を求め、沿道にはコロナ対策のため“密”を避け、どこか遠慮がちに応援する地元の人々と、オリンピック中止を求めて横断幕を掲げる人びとが集まっている。

心中の複雑さを生み出しているのは、明確な根拠も無く、筋の通らぬ主張をしている真山氏のような人が存在しているからだろう。

 

「世論調査では7割近くの国民が中止・延期を求め」とあるが、その人たちが正しい判断をしているとは限らない。

 

かつて、国民の多くが「鬼畜米英」などと米英を敵視し戦争に突き進んだ過去があるが、その時も正しい判断をしたと言えるのだろうか?

 

世論は政府やマスコミに煽られ、正しい判断ができなくなることもある。

 

「多くの人が賛同する=正しい判断」というのは、あまりに短絡的だ。

 

 

 

私はむしろ、「コロナ対策のため“密”を避け」という発想がもはや非科学的だと指摘したい。

 

通勤時の満員電車で集団感染が発生していないのに、マスク着用で拍手での応援、そのうえ屋外という環境なのに「密」ということだけで感染するのだろうか?

 

マスク着用、声援ではなく拍手、沿道という屋外で「密になるとダメ」なら、満員電車はそれ以前から禁止状態であるべきでしょう。そうでなければ筋が通らない。おかしいでしょ?ということ。

 

逆に、満員電車でも皆マスク着用で声を出さずに居れば、密であっても集団感染には至らない、至っていないのだから、マスク着用で声を出さすに沿道で応援する聖火リレーは問題ないと判断すべきでは?

 

私の理論の方がよほど筋が通っているし、客観的事実をもとに判断しているように思うが、どうだろう?

 

最近、「満員電車はいいのか!!」と主張する人が減ったのは、満員電車で感染拡大していないことが明らかになってきたからだろう。

 

満員電車で感染拡大するなら、毎日200万人以上が電車通勤している首都圏なら、昨年からの1年間で数十万人が感染し、数万人が入院し、数千人が亡くなっているだろう。満員電車だけで。

 

 

 

聖火ランナーを辞退する有名人が多く出ましたが、それももっともなことだと思います」

とあるが、辞退した有名人の多くはスケジュールの問題と聞いているが、何がもっともなことなのだろう?

 

スケジュールを理由に辞退した有名人に取材でもして、「いや、実はスケジュールではなく・・・」という話でも聞いたのだろうか?

 

現実をしっかりと見て判断し主張すべきだろう。

 

これでは、個人の勝手な想像に過ぎない。

 

 

 

4月7日、大阪府は13、14日に府内全域の公道で予定していた東京五輪聖火リレーを中止すると表明しました。今後も感染拡大に伴い聖火リレーを中止する地域や辞退する人たちが増えていくでしょう。

それが正しい判断だと誰が認めたのか?

 

実は、聖火リレー程度では感染拡大しないのに制限していたとなれば、その判断は間違いということになる。

 

大阪府の判断を持ち出して、「ほれっ、だから聖火リレーやオリンピックは中止にすべきなんだ!」と声高に主張したところで、根拠としてはあまりに薄い。

 

何度も言うが、聖火リレー程度の密がダメなら、通勤電車は1年前から禁止にしておかねばならない。

 

通勤電車の説明はどうするのだろう?

 

 

 

私はコロナ禍が始まった1年ほど前から、東京五輪は中止すべきだと主張してきました。

その根拠は何なのかを現実的な事例をあげるなどして分かりやすく説明すべきだろう。

 

それが無いなら、個人の不安感、危機感などの感情が根拠でしかないということになる。

 

人々の勝手な感情、感覚、雰囲気で進んだ結果が良い結果に至るとは限らない。

 

過去の歴史を見ても分かること。

 

特に人は不安感を持つと間違った方向に進みがちだ。

 

関東大震災時のデマによる暴力行為などは極端な例だが、冷静に正しい判断ができなくなるものだ。

 

 

 

「危険性があるからやめろ!」では、いつまで経っても何も変わらない。

 

危険性があるならその危険性を取り去りながら進もう!」となぜ思えないのか?

 

先の短い人はそれでもいいのかもしれないが、皆がそうではない。

 

自分の不安感、危機感という勝手な感情だけで全体をどうこうすべきではない。

 

 

 

遡ること8年前、日本は「復興五輪」というテーマを掲げてオリンピックを招致しました。しかし、今やその目的を十分に達成できないことは明らかになっています。

そうですよ!その通りですよ。それが何か問題でも?

 

テーマが薄れたり変わったりすることと、オリンピックを開催するかしないかは別の話だ。

 

競技のうえでは何ら問題の無いこと。

 

そんなことをあれこれと持ち出してきては、「だから中止すべきだ!」という主張の根拠にしたいのだろうが、根拠としては実に薄っぺらい。

 

私も東京オリンピック招致が決定する前から、「東日本大震災の復興が終わるまで、東京でオリンピックなんかするなよ!」と反対していた。

 

今でも、被災地を蔑ろにして東京でお祭り騒ぎなんかするな!という気持ちがある。

 

だが、そもそも、オリンピックは被災地のためでも、政治のためでも、経済のためでも、観客のためでもないはずだ。

 

スポーツ競技のために開催されるもの。

 

これが本質だったはず。

 

スポーツ競技者でもない者が後から都合に合わせて勝手に付け加えたものを理由に、その本質が損なわれることがあってはならない。

 

復興五輪というテーマが薄れその目的を達成できないから中止せよ!と主張する者は、金儲けのために開催せよ!と主張する者と同類だ。

 

どちらもその本質を見失っているということ。

 

 

 

政府はいまも着実に五輪開催に向けて歩みを進めている。正直に言って、オリンピックは、政治の道具にされているように見えます。

だからこそ、今、政治、経済、コロナ、不安感、などなどに左右されず、純粋にスポーツ競技大会をただただ開催するということに注力してみてはどうか?

 

飲食店が営業したい、小説家が小説を書きたいと思いそれを何とか実現しようとするのと同様に、スポーツ選手が競技をしたいと思うのだってあっていいわけだし、その実現のための努力を無にする権限は誰にも無い。

 

政治、経済、各国の思惑などなど、様々なものがオリンピックに纏わりついているのは皆分かっているし、最近そうなったわけでもない事実だ。

 

今さらそんな分かり切った事実を持ち出してケチつけたところで、今後も無くならないだろう。

 

むしろ、政治も経済も個人の勝手な感情も関係なく、純粋に何とかして「スポーツ競技大会を開催する」ということだけに突き進めるチャンスでもあろう。

 

もはや外国人観客は無しになり経済的に大打撃を被るのは決定的だ、菅政権だってオリンピックを開催しようがしまいが、元々長期政権になりそうにはなかったわけだし、政治や経済の思惑もすべて諦め、ただただ、如何にして「スポーツ競技大会を開催する」かだけを考えてみてはどうだろう?

 

そこにコロナ禍を打開する方法やきっかけが見えてくるかもしれない。

 

制限をかけ止まっているだけでは何も変わらず同じことを繰り返すだけになる。

 

 

 

私は、他の人が言いたくない、目を背けている問題に光を当て、小説を書いてきましたし、発言してきました。今回もあえて申し上げますが、言ってしまえばオリンピックは国際的な“運動会”にすぎません。深刻な感染症によって世界中で学校閉鎖が続いている状態なのに、なぜ運動会の準備だけ進めているのでしょうか。この大いなる矛盾に早く気付くべきだと思います。

真山仁氏からすれば、オリンピックは国際的な“運動会”に過ぎないのだろう。

 

でも、それは真山仁氏からすればということ。

 

あなた個人の考えが正しいとは限らない。

 

私からすれば、他の人が言いたくない、目を背けている問題に光を当て、小説を書いてきたという真山氏の小説なんぞを読むのは時間の無駄でしかない。

 

私からすれば、そう言えてしまうのですよ。

 

もっと言いましょうか?

 

直木賞や芥川賞だって、小学生の作文コンクールと同じでしょ?

 

賞を取ったからとて読みたいとは思わない。

 

それに、深刻な感染症によって世界中で学校閉鎖が続いている?

 

世界中で?本当に?世界のどれほどの国々でなの?

 

そんな事言ったら、何もできなくなるのでは?

 

深刻な感染症によって世界中で学校閉鎖が続いているのだから、店はすべて休業にせねば!

 

深刻な感染症によって世界中で学校閉鎖が続いているのだから、会社も閉鎖せねば!

 

深刻な感染症によって世界中で学校閉鎖が続いているのだから、小説なんか書いている場合じゃない!

 

結局、感情論になってしまう。

 

非科学的でしょ?

 

 

 

大いなる矛盾に早く気付くべきなのは誰なのか?

 

真山仁氏の理論だと、オリンピック競技場よりも狭い競技場、狭い施設でのイベント開催もすべて禁止にしなければ筋が通らなくなる。

 

聖火リレーの沿道での密がダメなら、電車もバスも運行中止にせねば。

 

国立競技場での競技がダメなら、プロ野球もJリーグも今すぐ中止にせねば。

 

屋内競技場での競技もダメなら、演劇、舞台、映画鑑賞、美術館、博物館、なんならデパートやスーパーだって危険だ!今すぐ中止、休業にせねば。

 

ということになる。

 

実に非科学的でヒステリックな対応。

 

そして、大いなる矛盾だらけだ。

 

 

 

私が大いなる矛盾無く判断するとすれば以下のようになる。

 

 

 

半径2mはもちろん、1mでさえソーシャルディスタンスが保てない通勤電車で集団感染が発生していないのだから、通勤電車と同様の状態であれば問題ないと考えるべきだ。

 

つまり、皆がマスク着用で会話せずに居るなら、密になったとしても集団感染の危険性は低いということ。

 

なので、聖火リレーの沿道で皆がマスク着用で拍手だけで応援するなら、密になっていても感染拡大の危険性は低いと考えるべき。

 

 

 

プロ野球やJリーグの試合観戦で、皆がマスク着用で声援ではなく拍手で応援し、さらに観客数を制限している現状において集団感染が発生していないのだから、プロ野球やJリーグと同様の状態であれば問題ないと考えるべきだ。

 

つまり、皆がマスク着用で声援ではなく拍手で応援するなら、その他の競技も開催可能ということ。

 

なので、国立競技場や屋内競技場でのオリンピック開催時にも同様の対策を取れば問題ないと考えるべき。

 

しかも、外国人観客無しで日本国内の観客だけなら、今のプロ野球やJリーグと同じ状況なので、実現性は高いと言える。

 

 

 

空港検疫の資料を見ると、現状でも毎週1万5千人前後の人が海外から日本に入国し、PCR検査を受けている。日本国籍と外国籍の割合は半々か6対4程度。

 

現状でも海外から渡航し日本に入国している人がこれほど存在しているのに、オリンピック選手の入国は問題だというのも非科学的だろう。

 

もちろん、現状の空港検疫のままではなく、さらに強化したり、入国後の移動制限など、さらなる対策を実施すれば、世界各国からの選手やその関係者の入国に問題は無いはずだ。

 

厚生労働省の資料 https://www.mhlw.go.jp/content/000693463.pdf

 

厚生労働省の資料を見ると、想像以上に多くの国から入国しているのがわかる。

 

こんな状態にもかかわらず、オリンピック関係者はダメ!というのはおかしな話である。

 

もう少し客観的事実をもとに冷静に考え判断すべきだろう。

 

 

 

不安だから、危険だから、何となく、今はそんな時じゃないから、という理由で制限したり禁止するのは昨年までの客観的な事実がまだ無かった頃までで、

 

今年すべきは、昨年から今に至るまでに判明した客観的事実をもとに感情論ではなく論理的、科学的に物事を判断しながら先へ進むことだと思う。

 

飛沫で感染すると分かっていながら、飲食時に飛沫を防がずに飲み食い会話しているような非科学的な行動や考えは大バカでしょ?

 

飛沫で感染するのだから、飲食時にも飛沫を何とか防ぎましょう!

 

密でも集団感染しない場合もあるわけでしょ?

 

だったら、感染確率の低い部分にまで不要な制限をかけずに進みましょう!

 

ということ。

 

飛沫で感染者が増えたので制限をかけて一旦停止、感染者が減ったので制限解除、また飛沫感染で感染者が増えたので制限をかけ、なんてことを今後も繰り返すのか、

 

飛沫感染を防ぐ工夫をして感染者が増えないようにして先へ進むのか、どちらを選びますか?ということだ。

 

私は後者の方だ。

 

真山仁氏は前者の方なのだろうか?