私個人は東日本大震災の復興終わらずして東京でお祭り騒ぎなんぞするな!という考え方だったので、東京オリンピックには開催地決定までは猛反対していた。
だが、決まったからにはしっかりとやるべき!という考えと、4年に一度の大会を目標に頑張っていた選手たちのことや、選手生命はそう長くないということから、先延ばし、先延ばしではなく、何とか開催できぬものかという考えに変わっている。
別にいいのですよ。開催せずとも。
私は出場選手でもないし、観戦チケットを買ったわけでもないし、観戦したいとも思ってないし、オリンピック開催で儲かるような仕事をしているわけでもないので。
ただただ、選手のことを思っての考え。
そんな中、どこかの無知な大学教授が寄稿したというニュース記事を読んだ。
日本経済新聞 「『リレーの聖火消すべき』 米NBCが寄稿掲載」
米国内で東京五輪の放送権を持つNBCは25日、「リレーの聖火を消すべきだ」と題する寄稿を電子版に掲載した。「新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)のさなか、聖火リレーは五輪の虚飾のため、公衆衛生を犠牲にする危険を冒している」とした。
何が「聖火リレーは五輪の虚飾のため、公衆衛生を犠牲にする危険を冒している」だ!
その五輪で金儲けを企んでいることだってオリンピックを冒とくしているようなもの。
そもそも、何を根拠に「公衆衛生を犠牲」と言えるのか?
満員電車の密状態でもマスク着用と会話しないことで集団感染など発生していないのに、屋外でマスク着用して拍手での応援で集団感染するのか?
客観的事実をもとに判断すべきだ。
根拠も無く無駄に不安を煽り、無駄に社会に制限をかけていては、何の進歩も進展も起きない。
そもそも、チャレンジ精神を失った者に、オリンピックに口出しする権利があるのだろうか??
ボイコフ氏は、聖火リレーの出発地に福島を選んだことは「この儀式の偽善や害悪、ばかばかしさを際立たせただけでなく、五輪に向けて突き進む日本の問題の縮図でもある」と主張。
偽善?害悪?、今更そんなことを言っていることに馬鹿馬鹿しさを感じる。
既にオリンピック自体が偽善のようなものだろう。
スポーツの祭典であり、スポーツ選手中心であるはずのものが、金儲け中心のようになっているではないか!
オリンピックのために、開催後の維持管理もできない競技場を建設し、案の定、廃墟と化しているかつての開催地も多い。
これこそ、オリンピック自体の害悪では?
「もとは『復興五輪』をうたっていたが、現地の多くの人は復興の遅れを理由に五輪を非難している。(復興の)財源は五輪の準備のため東京に振り向けられた」と指摘した。
五輪を非難している人の多くは選手ではない。
スポーツの祭典であり、スポーツ選手中心であるべきオリンピックを、関わりの無い連中に左右されても良いのだろうか?
それに、復興の財源が東京オリンピックに使われた事実は無い。
復興の財源は復興特別税として、しっかりと所得税に上乗せされています。
さらに「五輪はパンデミックを悪化させかねない。開幕時にも日本国民はワクチン接種を終えていないだろう。海外から来る何千人もの選手やコーチ、記者らは誰もワクチン接種が義務付けられていない」と述べ「80%もの国民が中止か再延期を支持している」現状を解説した。
「五輪はパンデミックを悪化させかねない。」というご心配はご自身の国と日本とを正しく比較したうえで述べるべきだろう。
人口3億3千万人で1日6万人前後の感染者数ということは、
人口1億2,400万人で1日2万3千人ほどの感染者数となる。
「五輪でパンデミックを悪化させ」たとしても、現状のアメリカほどの感染拡大にすらなりそうもない。
日本のことより、自国の現状を心配した方が現実的ということだ。
それに、「海外から来る何千人もの選手やコーチ、記者らは誰もワクチン接種が義務付けられていない」ことが問題なら、今からでも義務付ければいいだけのこと。
「80%もの国民が中止か再延期を支持している」との指摘も、この人たちが本当にすべてのことを考慮して正しい判断をしていると言えるのかが問題だ。
自己中心的な自身の不安感だけでそう判断しているのか、ウイルス感染の知識をしっかりと持ち合わせたうえで、社会、経済、オリンピック選手のこれまでの頑張り、スポーツ選手の選手生命のことなど、すべてをしっかりと正しく把握、理解したうえでの判断と言えるのか?
寄稿したジュールズ・ボイコフ氏こそ大学教授なのだから、民意だけで判断するのではなく、客観的事実をもとに判断するべきなのではなかろうか?
程度の低い寄稿などする暇があるなら、もっともっと現実を正しく把握し、様々な角度、様々な立場からの視野で物事を総合的、複合的に考えてみてはどうだろう?
私はど素人の一般市民だが、オリンピック選手に対してこれだけは絶対に言えない。
「次の大会に出場すればいいじゃない。」
これまでの積み重ねと、選手生命はそう長くはないということを考えると、こんなことは口が裂けても言えない。
津波で思い出とともに家を流された被災者に対し、「また家を建てればいいじゃない。」
津波で家族を失った被災者に対し、「再婚してまた家族を作ればいいじゃない。」
と言うようなものだ。
これまでの年月があっての家や家族であり、家を建て直せば元に戻るわけではないし、再婚して家族を作れば失った家族を取り戻したことになるわけでもない。
スポーツ選手だって、これまでの年月があって、今の状態があり、3年後、4年後にも今の状態があるとは限らない。
今を失えば、もう取り戻せないものだってあるだろう。
それを考えると、どうにか、これまでの年月が無駄にならぬようできぬものかと思ってしまう。
要は、オリンピックを何の場と捉えるのか、誰の目線で考えるのかということだろう。
ええ、あなたがさも正論かのように主張しているのと同様に、私もさも正論かのように主張している偽善者ですよ。
なんか腹が立つのですよ。
日本は1億もの人口がありながらも1日2000人ほど(今のところ)の感染者数に抑えているのに、日本よりも人口が少ないのに日本の数十倍の感染者数だったり、日本よりも人口が多くてもそれ以上に感染者数が多い国のメディアが、偉そうに日本の対応を批判するってのが。
1年前のダイヤモンド・プリンセス号の対応時にも散々欧米諸国のメディアに批判されたが、結局、対応が悪くて感染拡大したのではなく、横浜港に到着する前に既に感染拡大していたという調査結果が出ている。
アジアの日本がうまいこと行くことに不満なのだろうか??と勘繰ってしまう。

