さて、どこの国でしょう?
アメリカ?
韓国?
あまり見習うべき状況とは思えない。
他のやり方があるのでは?
それとも、やはり、ストレス発散、自己満足も兼ねたいですか?
え?そんなつもりはない?
ただただ正義のため?
いやいや、深層心理ではどうだかわかりませんよ?
マスコミやSNSを冷静に客観視すると、異様さと怖さを感じる。
一個人をここまで吊るし上げ叩くのに、もっと強大な悪事、例えば中国政府のチベットやウイグルへの弾圧、強制収容、拷問、虐殺、女性への性暴力に対しては、なぜか勢いも熱量も弱くそれほど叩いていない。
どちらにせよ私はもう少し穏やかななやり方で、対案や事例などを示しつつ改善に向かわせたい。
だって、自分があんな風に叩かれたら単純に嫌じゃないですか。
それに、あまりに人に厳しく当たるなら、自分も完璧な状態でなければ筋が通らない。
なので、厳しく批判できる皆さんは聖人と言えるほど完璧な人間なのでしょうね。
尊敬の眼差しで皆さんの今後の一挙手一投足、一言一句を見逃さぬよう見つめ続けていきたいと思います。
私も早く、「蔑視ともとれる発言」をした人を吊るし上げ厳しく叩ける人間になれるよう精進します。
いやぁ~本当に皆さん凄いですよね。
自身を厳しく律し、これまでの人生で表でも裏でも決して「蔑視ともとれる発言」をせず、当然、そういった思いや考えを一時たりとも持つことなく、自身が気付かぬうちにそうなることもなく生きているなんて。
ご立派です!
私なんて、まだ就職したばかりの頃、友人と富山の秘湯に行った時、露天風呂へ前を歩いていた友人2人がなぜか立ち止まり、小声で「背中一面に入れ墨した人が入ってる・・・どうする?」と言ってきたので、私は「は?風呂入ってるだけでしょ?だったら関係ないじゃん」と言い、先頭になって風呂に入った程度がやっとです。
とてもとても、入れ墨をしているおじさんを吊るし上げ叩くなんてことできませんでした。
というか、そもそも、私にとっては入れ墨を背中一面に入れていようが、普通に風呂に入っているなら単に「風呂に入っているおじさん」でしかないので、そうしたまでのことなのですがね。
もしかしたら、入れ墨をしている人が普通に風呂に入っていても、「入れ墨」という一部分だけでその人を別の生物かのように区別して見るべきなのですか?
それって、区別?差別?偏見?蔑視?になりませんか?
どうなのでしょうね?
まぁ、社会が「入れ墨、タトゥーをしている人は入浴禁止」という決まり事を設けているなら、私はそれに従いますが、私なら、例え背中一面に入れ墨をしている人が風呂に入っていようが、その人が普通に風呂に入っているなら、「普通に風呂に入っている人」としか見ません。
別にその人の過去なんぞ私には関係ないし、深いお付き合いをするわけでもないので。
今現在の自身の目の前の状況がどうであるかだけが重要だ。
背中一面に入れ墨を入れてなくても迷惑な風呂の入り方をしていたら、避けたいと思うでしょうし、場合によっては注意をするかもしれません。
このように私は一部分だけで判断することはなく、間違った批判も稀だとは思うのだけど、だからと言って、聖人である皆さんのように一個人を吊るし上げ叩くようなことをすれば、その行為自体がもはや蔑視の領域に入ってしまうのでは?
という心の葛藤もあって、なかなか皆さんのように一個人を吊るし上げて叩くような厳しい批判ができないのです。
まだまだ皆さんのような聖人には達していません。
もっと頑張ります!
ちなみに、背中一面に入れ墨を入れたおじさんが風呂から出て涼んでいる傍で、私ら若造が「あちっ、あちっ」と言いながらなかなか風呂に入れないでいたら、そのおじさんが、「そこにホースあるから少し水で薄めて入ったら?」と言ってくれたのでそうさせてもらいました。