初詣ねぇ・・・

 

初詣に行くだけで感染する確率は低く、初詣で外出して「飯でも食べて帰るか」となれば、感染の確率は格段に高くなるのだろう。

 

要は、移動した先での行動次第だと私は考えている。

 

ま、来年の初詣は来年の12月31日までに行けばよかろう。

 

 

 

そもそも、神社やお寺にお参りするそもそもの意味って何なのか?

 

子供の頃は単純に「神様にお願い事をすること」、「神頼み」としてとらえていたが、それなりに年を重ねてきて、「それって随分と図々しい行いだな」と思うようになった。

 

自分自身に置き換えて考えてみると、見ず知らずの他人が突然、「お願いします!」と頼みごとをしてくるわけでしょ?

 

「は?」

 

「あなたどこの誰よ?」

 

「はい、私は○○県○○市○○に住む○○です。」

 

と言われたところで、

 

「だから、私と何の関係があるの?」

 

「あなたに何かしてもらったわけでもないのに、何であなたにしてあげなきゃいけないの?」

 

と思うでしょう。

 

日頃お世話になっている人からお願い事をされれば、「よし、やってあげよう!」と思えるが、住所と名前を言われてだけでお願い事をされてもねぇ・・・

 

※「お参りの際に心の中で住所と名前を言わないと神様はわからないから、願い事が叶わない」などとテレビ番組やらで言っていたりする。

 

神様だって、

 

「で、私と何の関係があるの?」

 

「あなたに何かしてもらったわけでもないのに、何であなたにしてあげなきゃいけないの?」

 

と思ってもおかしくはないでしょう。

 

 

 

まずは、日々の良い出来事や、日々の平穏な日常、例え悪い出来事ばかりでもその中からプラスになることを見つけ出し、そのことに感謝し、その感謝を神社やお寺のお参りの際に伝えるのが先でしょう。

 

初詣以外には滅多にお参りに来ないような人に、突然お願い事だけされてもねぇ・・・

 

人付き合いでもそうでしょ?

 

日々、何か事あるごとに感謝されたり、気にかけてくれてるのがわかっていれば、願い事のために協力してあげようかな?とも思えるが、

 

普段何の付き合いもない、連絡もない人が、突然、年の初めに押しかけてきてお願い事してきたらどう思う?

 

 

 

NHKのテレビ番組「鶴瓶の家族に乾杯」を見ていると、鶴瓶さんは、各地で神社やお寺を見かけるとちょこちょこお参りしているのですが、「お願い事」というより、「感謝」の意味でのお参りのように感じるのですよ。

 

明確な証拠があるわけではなく、その前後の発言や、その番組内での言動でそう感じるだけなのですが。

 

地元の人のお宅に伺った際にも、そこに仏壇があれば手を合わせたり、その家の亡くなった家族が引き寄せてくださったんだというような発言もあったりするので、鶴瓶さんは「お願い事」より「感謝」の意の方が強いと思うのです。

 

そういう人の方が、周囲との関係も良くなり、そうなれば物事も良い方向へと進みやすくなり、結果として何事も良いようになるのでは?

 

と、「鶴瓶の家族に乾杯」での鶴瓶さんと地元の人たちとのやり取りを見ていて思うようになったのです。

 

まずは感謝の気持ちからなんだなと。

 

いきなりお願い事をしてもダメなんだろうなと。

 

今更言うまでもないが、上っ面の行動ではなく、心のありようが大切なのは間違いない。