日本学術会議による推薦が絶対かのように主張している日本学術会議幹部や野党。
国民は何を根拠に日本学術会議の幹部や会員が推薦に値する人物だと認識すればよいのか示すべきだ。
それを明確にせず、国会で時間を費やすのは国民に対してあまりに無責任だ。
説明を受け、「だから任命拒否はダメなのだ」と国民が納得すれば、国会で時間を費やして政府批判を繰り返すのも納得できよう。
しかし、実態はどうなのか?
現在、京都大学の特別教授であり、平成16年には紫綬褒章受章し、平成25年には文化功労者として認めれれたような人物、松沢哲郎氏が、裏ではこのような事態を引き起こしていたという事実を、国民はどう受け止めればいいのか?
京都新聞 「『著名な研究者という権威に逆らえず』 京大特別教授『金看板』が研究費不正5億円」
湊長博理事や湯本貴和所長らが冒頭に頭を下げ、陳謝し、松沢氏らが関与したと認定した過大な支出や架空取引を説明し「自分の研究を進めることは大事だが、それは不正の言い訳にはならない」と厳しく批判した。
調査結果は、事務職員が松沢氏らに強く意見を言えない状況にあり、会計上の問題に気付いても是正できるような関係になかった点に言及した。「所長だった立場と著名な研究者という権威の中で物が言いづらかったのか」という記者の問いに、湯本所長は「それは否定できない」と言葉を振り絞った。
だが「松沢氏は(同研究所の助手を務めたことがある)山極寿一総長と密接な関係にある。この点が調査に与えた影響は」と質問された時は「一緒に勤務したこともあるが、それ以上でもそれ以下でもない。密接な関係にあったとは考えていない」と語気を強めた。
研究のためか、他の何かのためかは不明確だが、どのような状況、人物であっても、「不正」をしてはならないのは一般常識どころか、人として当然のこと。
「権威」を持つ者が不正を引き起こし、その「権威」が不正を正せなかった要因だとすれば、そんな「権威」なんぞ世の中にとって何の役にも立たず、不要と言えよう。
その「権威」を持つ者(松沢哲郎氏ら)が、2005年10月から2014年9月まで日本学術会議の会員でもあった事実があり、その期間中にも不正を行っていたという現実。
さらには、不正に関係は無いとしても、不正を行った人物と密接な関係にある人物が日本学術会議の会長職にも就いているという事実。
この事実、現実を国民は何も思わずにスルーすればよいのだろうか?
日本学術会議の推薦をただただ無条件で受け入れ、不正をした人物、不正をするような人物であったとしても、国民は何も思わず、疑ってはならず、日本学術会議の提言や政府批判をただただ信用しろと言うのだろうか?
今年6月のこのニュース、新型コロナウイルス騒ぎのせいか、関西だけの報道だったのか、私の記憶にはなかった。
つい最近の報道によって初めて知ることになった。
産経新聞 「京大、研究費9億円を返還 霊長類研の不正経理問題で」
産経新聞 「会計検査院、6億2千万円の不正も指摘 京大霊長類研」
設備工事をめぐる不正支出は総額11億2823万円に上った。大学側が公表した不正支出額の倍となっており、国立大学法人として学校運営のあり方が問われそうだ。
原因については、松沢氏らに「適正な会計経理を行うという基本的な認識が著しく欠如」していたと指摘。経理責任者が契約内容を十分に確認していなかったこともあげた。ただ、不正支出された金は全額、取引業者に支払われ、私的流用はなかったとしている。
昨年12月に京都大学内部からの通報を受け京都大学が調査を実施し6月に調査結果を公表していたが、会計検査院も調査を進めていて、その結果が最近まとまったというもの。
会計検査院が調べ上げたら件数も金額も倍近くになった。
さらに、指摘された原因が実に低レベル。
「適正な会計処理を行うという基本的な認識が著しく欠如」って・・・
世間一般に数多くいる個人事業主でさえ、「会計処理は適正にすべき」なんてことくらい、「基本的」だとも思わないほど極自然に身についている。
わざわざ、「認識」などという行いをせずとも、呼吸をするのと同様に身についているものだ。
「権威」ある学者というのは、わざわざ、「会計処理は適正に行うものなのですよ。」、「適正に行うのが基本なのですよ。」、「それが基本的なのだと認識しなければいけませんよ。」と教えてもらわないと、会計処理を適正に行えないほど、著しく人として当然である何かが欠如しているということなのだろうか?
学者としての研究ができても、人としてあるべき姿、常識、正義が著しく欠如していたとして、日本学術会議において国民の生命と財産にも関わる提言をするに相応しい人物と言えるのだろうか?
京都大学の松沢哲郎氏らの件は研究活動における不正なので、直接的に国民に悪影響を及ぼしたものではなかったが、場合によっては、国民の生命と財産に直接的に悪影響を及ぼす不正だってあり得るはずだ。
そういった事態が日本学術会議内で起きた場合に、どのように国民に対する悪影響を防げばいいのか、誰がその責任を取るのか。
このことについて、日本学術会議や無駄に時間を費やし猛反発している日本共産党などの野党に、国民が納得できるよう説明してもらいたい。
その説明に多くの国民が納得できれば、「任命拒否」の方をより問題視する国民が増えることだろう。
とにかく、「学者=善良な人物」とは断言できないということだ。
経歴や実績が優秀で、見かけや発言も立派で整っていたとしても、不正をする人がいるという現実がある。
つまりは、「日本学術会議の推薦=善良で優秀な人物」という決めつけには何の根拠も無いということ。
本来は、「日本学術会議の推薦+政府や国民による客観的な調査・審査=善良で優秀な人物」であるべきだ。