立憲民主党の石垣のりこ議員が、頭を使って考えずに安倍首相を批判したいという欲求だけで反射的にツイートしたように私には思えた文章。

 

 

総理といえども「働く人」。健康を理由とした辞職は当然の権利。回復をお祈り致します。 が、「大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物」を総理総裁に担ぎ続けてきた自民党の「選任責任」は厳しく問われるべきです。その責任を問い政治空白を生じさせないためにも早期の国会開会を求めます

 

難病でもある持病を抱えながら生きている人物が体調を崩すと、「大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物」と決めつけられてしまうのですね。

 

皆さん、今以上に緊張感と危機感を持ち、少しでも体調を崩さぬよう生きなければなりませんね。

 

そうでないと、石垣のりこ氏のような思想、考え方を持った人物からは、「大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物」と決めつけられてしまいます。

 

石垣のりこ氏は随分と他人にお厳しい人物のようですね。

 

石垣のりこ氏ご本人はそれ以上に自身にお厳しいのでしょう。

 

当然、体調を崩すことなどあり得ないでしょうし、今後、例え何らかの難病や持病を抱えることとなっても議員辞職などせず、命が尽きるまで使命を全うするのでしょう。

 

見上げたものです。

 

私にはそこまでの覚悟はできませんし、持病を抱えながら、もしくは、持病などなくとも、未知のウイルスによる世界的な困難に対し、多くの批判を浴びながらもストレスなどで体調を崩すこともなく、的確な政策を次々と実行するようなことはできそうにもありません。

 

なので、安倍首相に対しても、持病を抱えながら生活している人に対しても、石垣のりこ氏のよう「大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物」と決めつける、全否定するようなことなどできません。

 

自分にできもしないのに他人にはそれを厳しく求めるようなことは、後々恥ずかしい思いをしそうで私にはとてもとてもできません。

 

おそらく、石垣のりこ氏は「自分ならできる」という自信があり、常に自身に対して厳しくあるからこそ、他人にもお厳しいのでしょう。

 

ただね、本当に誰からも尊敬され、慕われる人物というのは、大概、「自身に厳しく他人には優しい」人なのですよ。

 

まっ、とは言え、私は上っ面だけで簡単に物事を全否定するようなことはしません。

 

石垣のりこ氏のような発想、考えがあっても良いのではないでしょうか?

 

どちらにしても、人の発する言葉、成す行いは、巡り巡って自身に返ってくるものですから、その発想や考え方がどうであるかは後々目に見えて分かるようになることでしょう。

 

 

 

このツイート後に、

 

 

当方のtweetににつき、数は少ないものの複数の報道機関からご取材の依頼を頂戴しております。相手様によって答える内容が違うと問題ですので、書面にて回答しているところです。念のためこちらでも同一書面を共有しておきますね。

 

として、ツイートの文章についての詳細な説明文書を掲げている。

 

ということは、当初のツイートの内容が思ったように正しく伝わっていないということなのだろう。

 

だとしたら、そのようなツイートなど端からしない方が賢明だ。

 

ツイッターに投稿できる文字数で正しく伝えられないなら、ツイッターで主張すべきではない。

 

自身にとっても間違って捉えられては不本意だろうし、世間に間違って捉えられることによって世間を騒がすことにもなる。

 

ツイッターの投稿程度で思いや考えを正しく伝えきれるならいいが、そうでないなら、別の手段、道具を選ぶのが、道具の利口な使い方だろう。

 

そもそも、国会議員なら言葉はより大切に丁寧に扱わなければならないし、元ラジオアナウンサーでもあった人物が言葉で正しく考えを伝えきれていないというのも、自身にお厳しい石垣のりこ氏にとっては不本意、屈辱的なことなのではなかろうか?

 

諸外国との交渉で相手に間違って捉えられようものなら、関係悪化、最悪は戦争だって起こり得るのだから、国会議員であるからには、言葉の扱いに対する危機管理を徹底するべきでしょう。

 

 

 

挙句の果てには・・・

 

 

先ほど福山幹事長より「”大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物”という表現は、不可抗力である疾病に対して使う言葉として不適切である」とご指摘を頂きました。確かにこの箇所の表現に、疾病やそのリスクを抱え仕事をする人々に対する配慮が足りなかったと反省しお詫びします。

 

福山幹事長に指摘されてようやく気付いたのか、それとも、指摘されて仕方なくなのかは分からないが、こんなツイートをしている。

 

ほれ、後にお詫びすることになっている。

 

批判したいという欲求だけで反射的に行動したことが事の原因なのでは?

 

だから、ツイッターは簡単に投稿できるけども、反射的に投稿せず、その投稿内容を受け取った人がどう思うのか、自身に置き換えたらどうなのかなどを自身の頭を使って考えたうえで投稿すべきなのですよ。

 

簡単に投稿できるからこそ、じっくりと頭を使って考えずに反射的に投稿してしまうことが多くなる。

 

これがツイッター最大のデメリット。

 

じっくりと相手のことを考えたり、自身の身に置き換えて想像するなどせず投稿することで、相手を傷つけたり、思わぬ事態に陥ったりする。

 

なぜ、もっと頭と心を使わないのか?

 

頭を使って考え、心でどう感じるかを想像してから行動せずに、まるで反射神経だけで行動するようなことをして後にお詫び、謝罪、訂正、撤回。

 

実に効率の悪い行動の仕方だ。

 

脳を使って考えないということは、人間であることを捨てたようなものだ。

 

頭も使わない、心もない、もしそんな人物が国会議員になったとして、国民の思いを実現することなどできるのだろうか?

 

 

 

どこまで理解、反省しているのか・・・

 

 

綱領のもと、私も党の一員として、「身体的特性や疾病で、本人の就労意思が阻害されない、強くたおやかな社会」「全ての差別を克服する社会」を構築するため、今後も引き続き職務に邁進して参ります。

 

とあるが、「党の一員として」の前に、「人として」でしょう。

 

人として、「他人の一部分だけでその人を全否定するような考え方」を持っているのは大変危険な状態だと認識できていればいいが・・・

 

この「他人の一部分だけでその人を全否定するような考え方」によって、欧米諸国は黒人を奴隷として扱っていたわけでしょ?

 

自分たちと肌の色が違う、文明が違う、発展の度合いが違うからと、その地域の人々を自分たちと同様だと考えず、自分たちとは違うと全否定し奴隷扱いしたわけだ。

 

ユダヤ人虐殺だって、ユダヤ人というだけで存在を全否定され行われたことだ。

 

戦争だって、他国と考えが違うというだけで全否定され起こる。

 

もちろん、石垣のりこ氏の考えがそうであるとは断言しないが、人の一部分だけでその人がそうであると決めつけたり、他人の一部分だけでその人を全否定するような考え方は、かつての奴隷制度、植民地支配、異民族に対する虐殺、戦争、人種や思想や外見など様々な違いを理由とした差別に行きつくだろう。

 

 

 

例え相手が敵だとしても常に敬意をもって接する。

 

つまり、相手が誰であろうと、どうであろうと、敬意だけは忘れてはならない。

 

私が礼に始まり礼に終わる剣道によって教わったこの精神は、人として最低限持っていなければならないものだと今でも思っている。

 

 

 

ところで、石垣のりこ議員がツイッターに投稿した文章って、どれだけの時間をかけて考え投稿したのでしょうね?

 

私が書いたこの記事は、実際にツイッター(事実)を確認しながら、自分の考えをまとめながら、何度も書き直しながらで、かれこれ2時間ほどかかっています。

 

まぁ、個人によって考えをまとめたり文章を書く時間に違いがあるでしょうが、石垣のりこ議員のツイッター投稿に2時間はかけていないでしょう。

 

でも、人に正しく考えを伝えたいなら、それくらい考え、想像し、言葉を大切に選びながら文章を作り投稿すべきなのではないでしょうか?

 

最近、言葉を雑に扱い過ぎているように思う。