TBSの朝の情報番組「グッとラック!」を見ていたら、立川志らく氏が「(政府が配布する布製の)マスクなんかに使う金があったら医療機関に・・・」という発言をしていたが、相変わらず物事を理解していない人が正しいとは言えない主張をしている。
そもそも、医療機関への支援をしていないわけではないし、医療機関への支援、医療物資の供給は当然必要なことだが、だからと言って布製マスクを邪険にしていいわけではない。
なぜ、医療機関への支援と布製マスクの配布を別個のものとして比較するのか疑問だ。
布製マスクの配布を重要視し、医療機関への支援をおろそかにしていいわけでもないし、医療機関への支援を重要視し、マスクの配布、供給、着用率をおろそかにしていいわけでもない。
どちらも重要だと、なぜ、考えられないのか?
右手で箸を持つと左手の茶碗を落とし、左手で茶碗を持つ右手の箸を落としてしまっては、いつになっても飯が食えない!
飯を食うのに箸と茶碗が必要なのと同様に、感染症に対して医療機関とマスクの両方が必要だろう。
もはやそれが世界の常識になりつつある。
テレビというメディアで言葉を扱い落語家としても言葉を扱う立川志らく氏は、言葉の大切さを理解していないのではなかろうか?
「マスクなんかに」という言葉によって、マスクの存在価値を下げ、布製マスク配布がまるで無意味かのような印象与えてしまうことに気付いて欲しい。
テレビ番組の司会者として、落語家として、もっと言葉を的確に大切に使って欲しい。
感染症対策としてマスク着用が世界の常識になりつつある中、布製マスクは存在価値が無いのだろうか?
飛沫感染と、その飛沫が付着した部分を触れて感染する接触感染を防ぐには、布製だろうが使い捨てだろうが飛沫の拡散を防ぐマスクは必要不可欠なものだ。
インターネットを利用してマスクを注文できない、マスクを求めて広範囲に店を探し回れない、自作できない人にとっては、「マスクなんかに」と言われた政府配布のマスクだって重要なものだろう。
自分の価値観だけで物事を判断してはいけないということだ。
日本政府の布製マスク配布が何の問題もなくスムーズに行われていないのは確かだ。
しかし、国民に広く布製マスクを配布すること、布製マスクを利用することについては間違いでも悪でもない。
当初は「マスクなんて無意味だ」などと言っていた欧米諸国までもが、今やマスク着用を義務付けているし、台湾や韓国では国民に広くマスクが行き渡るように配給制にし、シンガポールでは布製マスクを国民に配布し、今週からフランスでも全国民にマスク2枚ずつ配布している。
日テレNEWS24 「マスク着用義務化 仏全国民にむけ配布開始」
朝日新聞社 「フランス、『マスクは無意味』から着用義務化に方針転換」
朝日新聞の記事に着用義務化のことは記載されているが、マスク配布のことは記載されていない。
自社の主張に合わない事実や都合の悪いことには触れないのだろうか?その程度の信頼性しかない新聞社なのだろうか?
※そんなこともあろうかと、普段から複数社の記事に目を通している。
安倍首相がどうであれ、思惑がどうであれ、布製マスク自体や布製マスクの配布を邪険に扱うのは正しいこととは思えない。
飛沫の拡散を防ぐには布製、使い捨て関係なくマスク着用が一番効果的なのは間違いないのだし、実際にマスクを手に入れられない、自作できない人がいるのも間違いない事実なのだから、そのうえで布製マスクを配布するということ自体は間違いではない。
また、医療機関への支援だけをすればよいわけでもなく、マスク配布だけをすればよいわけでもなく、感染症対策に必要なものであればどちらも重要視すべきだ。
なぜ、どちらかを選択することが前提かのような物言いになるのだろう?
箸だけで飯は食えない、茶碗だけでも飯は食えない。
医療機関への支援だけでは感染拡大は続く、マスク配布だけでは感染者を救えない。
こんな当たり前な考え方がなぜできないのか疑問だ。