志村けんさんの訃報に小池都知事が、「最後の功績」という言葉を用いて死を悼んだことに対し、立憲民主党の蓮舫議員が何やら引っかかったようで、批判するツイートをあげている。

 

今。 言葉はとても大切です。 知事、あまりにもです。 心がなさすぎます。 小池都知事、志村けんさんの死去を「最後の功績」。ネット上で批判の声

https://twitter.com/renho_sha/status/1244587445670141959

 

んー・・・、どうなのだろう?

 

「言葉の上っ面だけを悪いように捉えれば」引っかかる程度だとは思うが・・・

 

小池都知事のコメント全体を聞くと、志村けんさんの死を悼んでいるのは確かであり、そのうえで、感染拡大している東京都の都知事としては、志村けんさんの死を無駄にしないよう皆でしっかりと受け止め行動せねばという思いがあっての「最後の功績」という言葉を発したと読み取れるのだが・・・

 

良くも悪くも捉えることなく、日本語の読解として見れば、小池都知事のコメントの前半は個人としての追悼の言葉で、後半は都知事としての言葉と分析できると思う。

 

 

 

蓮舫議員が「今。言葉はとても大切です。」というのは間違いではない、だが、今だけに限らず常にです。

 

言葉が無くては成立しない政治家であれば一般人以上に大切にするべきでしょう。

 

「今」なんて言っている時点で、蓮舫議員の政治家としての心構えはどうなの?と批判しようと思えばできてしまうのですよ。

 

人の発する言葉というのは、上っ面だけを好き勝手に捉えることができてしまう。

 

小池都知事の言葉に対し、「言葉の上っ面だけを悪いように捉えれば」批判もできるし、「言葉の真意を読み取り良いように捉えれば」納得できるものでしょう。

 

つまりは、小池都知事の発言だけの問題ではなく、それをどう受け取るかの問題でもあるということ。

 

蓮舫議員にとって小池都知事が嫌いな人物だとしたら、小池都知事の発言を良いようには捉えず、敢えて悪いように捉えてしまうのではないでしょうか?

 

しかも、嫌いな人物だから、その人の真意までは考えず、言葉の上っ面だけで適当に済ましてしまう。

 

もし、そんな感じでの批判だとしたら、蓮舫議員は自分の嫌いな人には厳しく、好きな人には甘くという政治をするのでは?という不信感を持ってしまう。

 

それに、このように人の言うことなす事にいちいち突っかかって批判ばかりしていたら、蓮舫議員の周囲で気兼ねなく言葉を発することができなくなってしまう。

 

それこそ、皆、蓮舫議員に忖度して口をづぐんでしまう。

 

 

 

ちなみに、蓮舫議員のツイッターには、

 

台湾の蔡英文氏による志村けんさんへの追悼ツイートを蓮舫議員がリツイートしていたり、

 

「志村けんさん死去に関連して中国ヘイトが発生している」ということを絡めてお悔やみのコメントを載せた立憲民主党のツイートをリツイートしている程度で、

 

蓮舫議員のツイッター上に蓮舫議員自身が純粋に発した追悼のメッセージは見当たらなかった。

 

「知事、あまりにもです。 心がなさすぎます。」と批判している自身はどうなのかと疑問に思ってしまった。

 

小池都知事が志村けんさんの死を感染拡大防止に利用しているとするならば、

 

批判のために志村けんさんの死を利用しているのは誰なのか?

 

 

 

余計な雑音を発しないで、素直に、純粋に志村けんさんの死を悲しみ、悔しく思い、志村けんさんを死に追いやった新型コロナウイルスを憎しみ、一刻も早く抑え込んでやろうと思えばいいじゃないですか!

 

蓮舫議員の小池都知事批判のツイートには、志村けんさんの死に対する悲しみも悔しさも、死に追いやったウイルスに対する憎しみも、今後への決意も感じられない。

 

「蓮舫議員、あまりにもです。心がなさすぎます。」

 

志村けんさんの死を感染拡大防止の原動力として利用するのと、嫌いな人物の批判のために利用するのと、どちらが世の中にとって良いことか?

 

そして、志村けんさんがどちらを望むのかを上っ面の字面ではなく心で感じ取ってもらいたい。

 

 

 

 

 

そもそも、「ネット上で批判の声」に乗っかって批判しているだけって・・・

 

ネット上の批判と同レベルということでしょ?

 

それじゃ私と変わらんでしょ!

 

これが政治家?

 

じゃあ、私も政治家?