実現可能であればの話。

 

何やら日本政府や東京都の政治に対し、若干、過激な表現で批判しているとネット上のニュースにあったので、どれどれ?と思って見てみたら。

 

3月25日のツイッターにこんなのがありました。

自粛させたいなら保証の話からしましょうよ。仕事ない時は家賃や生活費、税金払えなくなる。店が潰れて自殺したらそれはコロナではなく政治が人を殺したってことね。コロナと政治、どっちが人を殺すのか。

 

自粛により経済的な打撃を受ける人が多くいるのは確かなことなのだが・・・

 

私はこの「保証」という言葉に引っかかってしまった。

 

「保証」という言葉そのものの意味だとすると、「大丈夫であると約束する」という程度のもの。

 

「補償」という意味だとすると、「発生した損失を埋め合わせる」という具体的なことになる。

 

前者の意味だとして、「自殺などで死なない程度に支えることを約束しますよ」ということで話を進めると。

 

それなら、現時点で生活保護という制度がある。

 

まぁ、生活保護費を抑えるために出し渋るということがあるようだが、この制度を適切に機能させるしかない。

 

もし、「補償」という意味合いだとしたら、それは困難だ。

 

新型コロナウイルスによる損失を証明しなくてはいけないし、新型コロナウイルスによる損失を装った詐欺も発生することだろう。

 

これを実現する目処を立ててから自粛となると、今以上に感染拡大してからになり手遅れになる可能性が高く、新型コロナウイルスによる死者が増えてしまう。

 

 

 

私の探し方が悪いのかツイッターにもインスタグラムにも見当たらなかったが、日刊スポーツでは、他にも以下のような主張をしていたという記事があった。

保証するからお前ら黙って家にいろ、って言えよ。日本人のみんながやってるからやったほうがいいのかなーってのを利用して忖度で自粛させんじゃないよ。一言、生活は任せろ、経済で人は死なせない、コロナでも死なせない、保証するから黙って家にいろって言えよ」

 

ここでの「保証」という言葉の部分を「生活保護」に置き換えれば、まぁ、できそうなので村本氏の主張に納得できなくもない。

 

でも、やはり、「補償」となると、実現可能なのか微妙なので、暴論とも受け取れてしまう。

 

村本大輔氏の主張は過激な表現が多いらしいが、言葉を正しく捉えれば正論になったりするし、使っている言葉の意味合いがどうかによっては暴論になったりもするのだろう。

 

この場合どっちなのだろう??

 

 

 

どちらにせよ、政治家ができもしないことを言ってしまうのも問題になる。

 

かつて、民主党政権の頃、高速道路を無料化するなどと言って支持を得ておきながら、結局は実現できなかったという事例もある。

 

高速道路の無料化すら実現できない国が、全国民の損失補償などできるわけがない。

 

今となっては、そんなことに期待する国民もどうかと思う。

 

そもそも、そのための費用って、結局は国民の税金から出すようなもので、後で財政を立て直すために増税なりして穴埋めや返済をしなければならない。

 

「国が国民に現金給付」とは言っても、実際は、「国民の税金から国民に現金給付」なので、手放しで喜べるようなものでもないのが現実。

 

それでも、今を何とかするための政策が必要という状況なのだろう。

 

 

 

ん?!

 

「保証が無いなら自粛しない」という考えならアホだ!

 

そんなことしても、不安定な状態が終わることなく続くだけだ。

 

自粛せずにいつまでも収束しなければ、結局は長期間に渡り、仕事と生活に被害が及び続けるだけだ。

 

どうせ死ぬなら、長期間苦しんでから死ぬより、短期間の苦しみで死んだ方がましだ。