国民民主党の原口一博議員が、野党幹部の会合で、
「この安倍内閣では、まさにコックピットに、言い方悪いですけど、日光猿軍団のお猿さん、もうちょっとそういう人たちが乗っていたら、コックピットから降りろと言いますよね」
と発言し、
「安倍首相が猿だとは、絶対に言わないけど」
と付け加えたそうだ。
さらに、この発言に対し、立憲民主党の川内博史議員が、
「猿に失礼だ」
と合いの手を入れたとのこと。
なんだか、ガキが集まって、相手が居ないところで相手の悪口を言ってケラケラ笑っているのと同じ程度なのですが、このガキのような集まりが、「野党幹部の会合」だとは・・・
相手を猿に例えた人格をも否定する発言が国会議員の中では許されるのでしょうか?
そこに相手が居なければ何を言っても、人格を否定してもよいのでしょうか?
首相による質問に対する野次には審議拒否をして謝罪を要求したのだから、野次以上に酷い人格をも否定する発言にはどうすべきなのでしょう?
そもそも、安倍内閣を猿の集まりとするならば、その政権を支持している国民も猿だと言っているに等しいのですが、それでいいのかな?
さらには、その猿にさえ勝てない、猿以上に優れた政策を提言できない自身は、いったい何なのだろう?と疑問に思わないのでしょうか?
猿の集まりのような政権の支持率が45%前後、与党支持率39.5%、野党支持率13%(NHK世論調査3月10日)という現状においては、原口一博議員自ら自身がその猿以下の存在だと主張していることになってしまう。
まぁ、現政権を猿の集まりかのように例え、その猿にも勝てない自らを叱咤激励したかったのだろうと、良い方に捉えてあげればいいのかな??
それに、「安倍首相が猿だとは、絶対に言わないけど」と後で付け足したところで、話した日本語の内容としては言ったも同然。
自身の発言の逃げ道を作るかのような話し方は、言論を扱う政治家としてどうなのでしょう?
自身の発言に対する責任感や覚悟の低さを、自身で証明したようなものです。
逃げ道を作らず、陰で言わず、正々堂々と安倍内閣の閣僚の面前で発言し、徹底的に討論でもすればよかろうに。
どちらにしても、人格を否定する発言をしたのは確かなのだから、人格を否定したわけでもない首相の野次に審議拒否と謝罪要求した時のことを思い出し、それ以上に重く受け止め、それ相応の態度をとるべきでしょう。
そしてさらに見逃さない!川内博史議員の「猿に失礼だ」という発言。
この発言は、安倍政権は猿以下だという意味を込めてのものでしょう。
だとすると、その猿以下の存在にすら勝てない、支持されない、上回れない自身は何なのかを、さぁ、考えてみましょう!
猿以下の以下だとしたら、逆に川内博史議員の発言こそが「猿に失礼だ」ということになるでしょう。
人格を否定された人に対してはもちろん、日光猿軍団のお猿さんにも謝罪しなければいけません!
このように、相手を蔑んでも、自らによって自身を相手以下の存在にするだけなのですよ。
相手を蔑み、相手を自身よりも下かのように扱っても、その「蔑み」という行為によって、自身が自動的に相手以下の存在になるのです。
相手の悪口を言っても、自身は何も変わらない。
相手を蔑むことで、相手以下の存在である自身を自身で慰めているだけのこと。
気付いていないからこのような自慰行為(※別に性的な意味ではないがある意味同様かもしれない)を人前でしてしまうのでしょう、人前でしてしまうなんて…客観的に見て実に恥ずかしく情けない姿だと教えてあげたい。
人が居ない所で一人でぼやいたり、思ったりする分には別にいいのですよ、思想、信条は自由ですから。
ただ、日頃そう思っていることは、表面にじわりと出てくるものですがね。
もう少し、「人として」の立ち振る舞い、考え方、礼儀などを鍛え直した方が、国民からの支持を得やすくなるかと思います。
私は剣道をしていましたが、武道は「礼に始まり礼に終わる」ものです。
例え相手が憎き敵であっても常に敬意をもって接すること、と教わりました。
人に対する「敬意」は、人としての最低限の必須条件とも言えるでしょう。
人に対する敬意を失くした時点で、自身が人以下になったと考えるべきです。
この最低条件を満たさなくなった時に、差別、偏見、争い、罵りあい、宗教間の争いなどなど、人間の悪い部分が溢れ出てくるのだと思います。
原口一博議員や川内博史議員は人としての最低限の必須条件を満たしていますか?
そもそも、私だけではないと思うのですが、人の悪口を言っている人を信頼できますか?
人を蔑んだり、悪く言っている人が多くの人に慕われてたりしますか?
似た者同士が集まったりはするので、そういう人たちが周囲に集まっていることを慕われていると勘違いすることはあるかもしれません。
私はそんな人との親密なお付き合いはお断りします。
上辺だけの挨拶で、辛うじて最低限の敬意だけは払いつつ、関係を断つようにしていきます。