小籔千豊さんを起用した「人生会議」のポスター。
批判も多いですが、「人生会議」することが問題ですか?
「人生会議しておこうと」とおすすめするのが問題なのですか?
何が問題なのでしょう???
人によっては不謹慎だなどと批判していますが、死ぬ前に家族と話し合うことが不謹慎?
死ぬ前に家族と話し合いましょうと啓発することが不謹慎?
お笑い芸人さんを起用したことが不謹慎?
批判するならもっと具体的に主張して欲しいものです。
私も父を亡くしていますが、突然倒れ、突然亡くなったため、前もって話すことはできませんでした。
亡くなった後になり、普段からもっと話をしていればよかったとつくづく思いました。
そんな私が今回の人生会議のポスターを見て思ったのは、「不謹慎」ではなく、「そうだよな」という啓発に対する素直な感想でした。
もっと素直に受け取ればよいだけのことです。
いちいち食って掛かる必要もないし、粗を探す必要もない、なぜ、もっと自然体で素直な状態で受け取ろうとできないのか?
今の世の中、そのことの方が問題なのでは?
100%の人たちが賛成、賛同できる物事なんてそうそうあるものではないでしょう。
他の人に完璧を求めておいて、自分自身はどうなのですか?
誰からも批判されず、反発されずにすべての人から完璧だと思われている、なんて思っているのでしょうか?
もう少し、ある程度のミスや間違いも含めた全体で受け入れ判断してもよかろう。
それと、日本人のダメなところだと思っているのは、不謹慎などと言って、暗いこと、嫌なことに触れようとしないこと。
もしかして、「不謹慎」を言い訳にして暗いこと嫌なことから逃げているのではありませんか?
明るいこと、良い面だけを目にして生きていければ最高ですが、現実は暗いこともあり、嫌なこともあり、悪い面もそこかしこに見えるのですよ。
見て見ぬふりをして、先送りしたり、棚上げすることが多い日本。
その結果、今、面倒なことばかりになっているのでは?
少子高齢化、年金、日韓関係、太平洋戦争の総括がされていないなどなど。
日本人が日常生活の中で、暗いこと、嫌なこと、重いことを避けているようでは、社会の諸問題も解決しないことでしょう。
ふと思ったが、最近昔ながらの霊柩車を見なくなった。
今の人たちに評判が悪いらしく、目立たない車両に変わっている。
誰もが必ず死ぬという自然のことなのに、それを遠ざけてしまうことで、死が自然なことではないかのようになっては、死が恐怖でしかなくなってしまうだろう。
必ず誰もが経験する死が「恐怖」でしかなくなったら、毎日、毎時、毎分、誰もが死に向かっているのに、毎日、毎時、毎分がただただ嫌になってしまうではないか!
人の死も自然体で受け入れられない世の中になってしまった。