参議院本会議の場において、自由党の山本太郎議員、森ゆうこ議員、参院会派「沖縄の風」の糸数慶子議員の3人が、「カジノより学校にエアコンを!」、「カジノより被災者を助けて!」などという垂れ幕を掲げた。

 

まるで国会議員ではなく、どこかの活動家のようなこの行為に対しては、参議院懲罰委員会に付託するそうだ。

 

しかしまぁ、相変わらずのパフォーマンス重視の行動に呆れるばかりだ。

 

政府は学校にエアコンを設置していないわけでもないし、被災者支援をしていないわけでもない。

 

それに、カジノに反対なら、主婦からお年寄りまでギャンブル依存症になっている実態のあるパチンコに対しても反対すべきところなのに、パチンコには声をあげない野党に違和感を感じている国民は多いことだろう。

 

 

 

もっと言えば、これら野党議員は、「今」という目先のことしか考えていないように思える。

 

政治、社会というものは、「今」のためだけに動いていては、3年後、5年後、10年後、30年後と、その都度その都度場当たり的な対応しかできなくなってしまう。

 

常に、何があろうとも、3年後、5年後という先を考えながら「今」の出来事に対処しなければならない。

 

そうでなければ、「今」だけのためよって、3年後、5年後という日本の将来が不安定になってしまい、結局はより多くの国民を長きに渡り苦しめることになってしまう。

 

そのような発想が無かったからこそ、かつての民主党政権は場当たり対応ばかりで、将来の日本に対して何も残せていなかったのではなかろうか?

 

 

 

垂れ幕を掲げた議員個人に問いたいが、

 

カジノを含むIR実施法案のことを進めていたら学校にエアコンが設置されないのだろうか?

 

カジノを含むIR実施法案のことを進めていたら被災者を助けれらないのだろうか?

 

この議員たちは、自分が病気で床にふせたら、自分に関係する人たちに仕事も学校も家事も休んで自分の看護をしろと命じるのだろうか?

 

学校へのエアコン設置や被災者支援はそれぞれ担当省庁が継続的に行っているはずだ。

 

国会で別の法案のことを進めていたら停止するようなものではない。

 

むしろ、来年も再来年も被災地が増えていくことを考えたら、「今」のためだけに日本を停止させてはならないはずだろう。

 

「今」被災している地域の復興財源を確保するためにも、来年、再来年の被災地支援や防災政策のためにも、日本を停止させずに社会、経済を継続的に、より強いものにしていかなければならないはずだ。

 

「今」のことだけに注力して、日本が停止状態になり、社会、経済までもが停滞し、来年、再来年、3年後、5年後、10年後の被災地支援を弱体化させようものなら、「今」以上に多くの日本国民が死に苦しむことになるのではなかろうか?

 

なぜ、野党は、一点にだけしか目が行かぬのか?

 

日本は今年だけで終わるものではない!

 

「今」の国難に対処しつつも、先を考え進まなければ、この先の国難にも対処できなくなってしまう。

 

このような発想が無いのであれば、国の政治を任せるわけにはいかないだろう。

 

マイナス思考の人たちに国を任せれば、国はどんどんマイナスになっていくだろう。

 

世の中の人間関係を見てもわかるだろう。

 

マイナス思考の人が力強く輝かしい人生を送っている事例がどれほどあるだろう?

 

 

 

カジノに対しても、ギャンブル依存症などのマイナス面ばかりを指摘して反対しているが、ならば、既に社会問題となっているパチンコのギャンブル依存症に対しては、なぜ声をあげないのか?

 

本当に日本国民のことを思っているならば、「今」問題となっているパチンコのギャンブル依存症に対しても声をあげ、パチンコの廃止くらい主張してもよかろう。

 

パチンコは日本中どこへ行っても目に付き、依存状態の人が依存から脱するために避けようと思っても避けられない状態にあるが、カジノは日本国内の大都市部の極一地域にしか設置されず、カジノを身近に接する国民は一部地域の住民のみだ。

 

どちらが依存状態になりやすいか、どちらが依存状態から脱するのが困難かを考えたら、答えは簡単だろう。

 

パチンコの方が明らかに依存状態になりやすく、依存状態から脱するのが困難なはずだ。

 

にもかかわらず、「今」問題となっているパチンコのギャンブル依存症のことは強く指摘しない。

 

「今」問題となっている被災地支援や熱中症対策に対して指摘するならば、「今」問題となっているパチンコの依存症に対しても指摘すべきだ。

 

それをしないということは、自分たちの都合に合わせて「今」の問題を道具として使っているに過ぎず、本当に日本国民のことを考えているわけではないということになる。

 

 

 

私個人はパチンコもしないし、カジノにも興味はない。

 

パチンコが今後も日本社会に存在し続けるのであれば、カジノが日本社会に存在するのもよかろう。

 

実際、世界の各地に既に存在し、継続しているのだから。

 

世界にできて日本にできないことはないはずだ。

 

であれば、多くの外国人観光客が来日する東京オリンピック前にカジノを整備し、外国人観光客に多くのお金を日本に落としてもらい、それを被災地の復興財源や今後の防災対策の財源にするのもよかろう。

 

それこそ、「今」の西日本豪雨災害の復興のためにも、そして、この先に災害が起こらぬよう対策するためにも、カジノを活用するのも悪くはないのでは?

 

少しでも問題があれば全否定するばかりでは、何も生まれないし、何も進まない。

 

おそらく野党が政府や与党を批判するのは、「日本国民にとって」問題があるからというよりも、「野党自身の思いのために」安倍政権を打倒したいという理由の方が大きいだろう。

 

少なくとも、私個人にはそのように感じられるし、実際、「今」の問題点を指摘するばかりで、野党から「先」をどうするのかを聞くことはほぼない。

 

テレビ番組で、共産党の議員に対し、この国をどのように守るのかを質問したところ、明確な答えは無かったし、福山哲郎議員に対し、政権を取るために国民にどのような政策を提示するのかを質問した時も、被災地支援について民主党政権時代は当時の野党に協力をお願いしたというような、質問とは異なる答えが返ってきていた。

 

「今」の問題点を道具にして、政府や与党に打撃を与えたいだけで、日本の将来を考え、明確なビジョンを持っているようには感じられない。

 

野党の支持率が低いままで微動だにしないのは、日本国民の多くがこのように感じているからではなかろうか?

 

本会議場で垂れ幕を掲げるというパフォーマンスに騙される国民はもはや少ないだろう。

 

野党議員が日頃何を発言し、その真意は何で、実際、何を実行しているのかを国民はしっかりと見ているからこそ、「今」の野党支持率がその程度になっているのだ。

 

 

 

さらに言わせてもらえば、与党の法案が自分たち野党の思惑と違うからといって全否定し、議論しないというのはあまりに幼稚な対応だろう。

 

多くの国民が支持している与党の案は当然ながら最後には成立してしまう。

 

それは、民主主義国家として正常なことだ。

 

ただ、与党の法案に対し野党が全否定し議論しないというのは異常なことだ。

 

全否定しても国民の多くが支持している与党の案は成立するのだから、全否定するばかりではなく、議論し、一部でも野党の意見、案を取り入れさせることに注力すべきだ。

 

与党の案は気にくわないからダメなどと言わず、与党の案は気にくわないが、ここをこのように変えてくれれば快く賛成してやろうという駆け引きを交えた議論ができるよう、成長していただきたい。

 

本当に国民のことを思っているのであれば、その国民のために国会で議論し、与党の案を一部でも変更させ、国民のために与党案を一部変更させた!と国民に対し主張すればよかろう。

 

今のような目先だけしか考えていない批判や目先でしか見えないパフォーマンスを継続しても、与党がよほどのへまでもしない限り国民の支持は今が限度だろう。

 

相手次第の相対的な評価でしかない。

 

 

 

ちなみに私個人は安倍政権や自民党を丸ごと支持しているわけではない。

 

法人税減税に対する企業の明確な反応が無いのであれば、法人税を元に戻すべきだと考えているし、消費税増税で税収増などという発想は格差が生じている今の日本においては効果は薄いし、既に時代遅れの税制だと考える。

 

また、日本は独自のエネルギー資源が無いことで戦争にまで至った国なのに、独自のエネルギー資源になり得る海底資源を実用化するための注力が足りていない。

 

参議院議員の定数増にも納得できない。

 

他にも色々あるが、野党のように重箱の隅をつついたり、揚げ足を取ったりすればきりがない。

 

それでも、今の野党に政権を任せる度胸は私にはない。

 

何度も言うが、本当に日本国民のことを思っているのか、今のことばかりでなく、3年度、5年後、10年後の日本のことを考えているのか、そのビジョンがあるのかがまるで見えない。

 

日本の防衛について問われて何も答えられない、政権を奪取するために国民に訴える政策はと問われて、答えになっていない発言しかできない。

 

このような事実(テレビ番組で実際に放送されている)を目の当たりにしている状態で、そのような人たちに日本を任せるなんてカジノ以上の賭け事を私はする気になれない。