共同通信の記事に『前川氏「首相の強い意向と認識」』という記事が。
加計学園問題での安倍首相の答弁で、「前川氏を含め私から何らの指示も受けていない」と述べたことに対する反論だそう。
記事には、
直接の指示はなかったものの首相の強い意向という認識を持っていたと反論
とあった。
やはり、安倍首相からの指示は無かったわけだ。
前川氏が自分で勝手に「首相の強い意向」と認識しただけのこと。
メモにあった「首相の意向」というのも、勝手にそう思って勝手に書いたまでに過ぎず、首相の強い意向があったと断言できるものではないということだ。
にもかかわらず、自分らの都合の良いように勝手に思ったことをさもあった事実かのように主張し続けていたわけだ。
どうりで、何の証拠も出てこないわけだ。
まぁ、そもそも、一国の首相が、その国の政治、行政に対し、意向を示してはいけないという法律は無いし、一国の首相が意向を示してはいけないのならば、何のための首相なのか?という話になる。
そもそも、おバカな批判でしかなかったものだ。
さらに記事には、
和泉首相補佐官から「総理は自分の口から言えないから、私が言う」などの発言があったため、安倍首相の意思と受け止めた
とある。
これも、結局は、和泉首相補佐官が安倍首相の考えを予測してのことだろう。
さらにその予測による発言から前川氏が「安倍首相の意思」と予測したに過ぎない。
まぁ、正当な理由もなくだらだらと仕事をしている官僚に対し発破をかけるのは、政府として当然の行いと言えよう。
これら一連の言動において何ら不自然な点、不法行為などは無い。
野党や安倍政権を嫌う者が、経緯を無視し、状況だけを悪用し、事を問題化させて政府に無駄な時間と労力を掛けさせたという事件だったということ。
前川氏自ら、安倍首相の意向があったのではなく、そう自分が思い込み、そのような認識を持ったに過ぎないと自白したという記事でした。
日本語の文法的にはそのように解釈するのが自然だが、安倍政権を嫌っている人たちは、日本語の自然な解釈をせずに曲解してこの記事を受け取ることだろう。
「セクハラ罪という罪はない」という麻生大臣の発言を悪いように忖度して、「セクハラに罪は無い」というような曲解をしたりと
毎度毎度、日本語を不自然な解釈で捉えるというのは、子どもたちへの国語教育に悪影響を与えないかと不安でならない。
日本国憲法もこのような不自然な解釈で自分勝手に捉えれれようものなら、憲法改正せずとも今後どう解釈され、どう国が動いていくのか不安を抱かざるを得ない。