民主主義を主張するならば、なぜ与党に対峙する必要があるのか?
与党に対峙するということは、国民の多くが支持しているものに対して対峙するということになる。
それは民主主義を否定していることになるのでは?
本来の民主主義は、対峙するのではなく、補完し合うものなのではなかろうか?
国民の多くが支持しているものを否定するのではなく、国民の多くが支持しているものを軸として、足りない部分、手直しが必要な部分を補い、より良いものにしていくことが民主主義なのではと思う。
国民の多くが支持しているものを全否定する今の野党のやり方では、まったくのゼロからやり直さねばならなくなり、無駄に時間がかかるどころか、そもそも、多くの国民が支持しているものを認めないという反民主主義でしかない。
そのうえ、「疑惑」だけで人を悪者扱い、野党側のデモにおいては、「安倍を監獄へ」などというプラカードを掲げ、犯罪者扱いをしている。
この状態を民主主義、法治国家と呼べるだろうか?
まるで戦前、戦時中の日本のようではあるまいか。
主張していることと、実際の行動がこれほどまで真逆になっていることに、野党自身は気付いていないのだろう。
国民の多くが支持しているものを否定し、疑惑だけで人を罰しようとする野党が政権を握ろうものなら、民主主義を主張しつつも民主主義を否定した行いをし、疑惑だけで人を裁き罰するという法治国家をも否定する国家になってしまう。
それが本当に日本国民のためになるのか。
一体、誰のためにそうしようとしているのか、という「疑惑」を抱かずにはいられない。
まぁ、これは私個人の勝手な妄想に過ぎない。今のところは。
とにかく、野党はもっと大人にならねば、今後も支持率が高くなることはないだろう。
自分たちの意に反するものを全否定するのではなく、受け入れつつも足りない部分、改善すべき部分をしっかり指摘し、補わせることで、より多くの国民に益するものに仕上げる。
国会をそのための場にすることのできる野党にならなければ、いつまでも野党のままでしかないだろう。