対話による解決をしきりに訴える人たちもいるが、対話とは戦争の真逆で、一方が対話しようとしても、もう一方が応じなければ、対話は実現しない。
戦争は、一方が戦争反対と訴えていても、もう一方が武力攻撃してくれば、戦争状態となってしまう。
今の北朝鮮はどのような状態なのかをしっかりと見てもらいたいものだ。
対話に応じようとしているだろうか?
北朝鮮が対話に応じようとしない限り、対話は実現のしようがない。
戦争は一方的に武力攻撃すれば開始できるが、対話はそのようにできない。
さて、どのように北朝鮮と対話すればよいのか?
対話による解決を主張する人たちは、まず、その対話をする方法を主張すべきだろう。
で、なぜ、北朝鮮は対話に応じないのか。
今対話に応じても、北朝鮮優位に話しが進まないからだろう。
北朝鮮優位の状態になるまで、北朝鮮は対話には応じない。
では、北朝鮮優位な状態とはどのような状態か。
使用可能な核ミサイルを保有した状態だろう。
では、その状態まで待ってあげてから対話すればよいのだろうか?
対話による解決を訴える人にそのことを質問してみたい。
北朝鮮が常時使用可能な核ミサイルを保有するまで待ってあげて、保有できたら対話を始める。
さて、その状態で対話したとして、平和な状態を作り出せるのだろうか?
何かあれば核ミサイルを突き付けて、自分優位な対話とやらをするようになるだろう。
日本は核ミサイルを突き付けられながら、北朝鮮の要望に応え続けなければならないだろう。
この状態が「平和」なのか??
日本国憲法第9条を改正するなと主張している人たちにとっては、それが「平和」なのかもしれない。
日本人は他国の軍隊に攻撃されても何もするな、たとえ自分の家族が殺されそうになっても、武器を手にすることなく、叫ぶか逃げるかだけしろ。
他国の軍隊に攻撃されたり、殺されたくなければ、武器を手に防衛するのではなく、金を払うなり、言いなりになるなりしろ。
と、解釈できる憲法第9条を守れと言うのだから、
北朝鮮に対して、武力で防衛するのではなく、対話して、北朝鮮の言いなりになれ。
それが「平和」だ。
ということなのかもしれない。
私は、それに賛成できない。