やはりマスコミは起きた事実を正しく国民に伝えなければならない。

 

秋葉原で行われた東京都議会議員選挙の演説に対し、集団が「安倍辞めろ!」という大声を発し演説を妨害した。

 

このことに対し、安倍首相が「こんな人たちに負けるわけにはいかない」というような発言をした。

 

マスコミやコメンテーターの多くは、安倍首相の「こんな人たち」という発言だけを批判しているが、選挙演説を妨害するような人たちのことには一切触れようとしない。

 

「こんな人たち」と発言するに至るには、その要因が必ずある。

 

要因には触れず、結果ばかり批判するのは、正しいものの見方ができていると言えるのだろうか?

 

何もなく突然、「こんな人たち」と発言する人はまずいないだろう。

 

しかし、報道やコメンテーターの主張を聞いていると、安倍首相が一方的に悪い風潮で話している。

 

選挙の演説を妨害する行為というのは、一方の意見を排除する行為なのではなかろうか?

 

しかも、秋葉原での安倍首相に対する批判は「安倍辞めろ!」であり、安倍首相の演説の内容に対してではない。

 

相手の演説、意見を聞いて批判ではなく、相手の主張など聞かずに頭から「安倍辞めろ!」では、とても多様性を認めている側の批判の仕方とは思えない。

 

にもかかわらず、コメンテーターによっては、安倍首相が他方の意見を聞かない、多様性を認めないなどと主張している。

 

少なくとも、あの選挙演説の場においては、それを妨害する行為は許されない行為だし、演説の内容についての批判ではなく、安倍辞めろというコールは単なる排除、妨害としか受け取れない。

 

あの場において批判されるべきは、たとえ安倍首相が気に食わなくとも、安倍首相の演説を妨害する行為を行った集団であるべきだろう。

 

マスコミもコメンテーターも単に安倍首相叩きのための報道、主張を行っているとしか思えない。

 

事の本質を見失っている。

 

あの場でやっていいことと、やってはいけないことがある。

 

国会の場でやっていいことと、やってはいけないことがある。

 

国会において安倍首相が他方の意見を聞こうとしない、他方の主張を認めないのであれば、安倍首相が批判されるべきだろう。

 

しかし、秋葉原での選挙演説の場においては、演説を妨害している者が批判されるべきだ。

 

選挙での演説は選挙権を持っている者がそれを聞き、判断材料にするものだ。

 

それを妨害しているということは、選挙権を持っている者に対しても妨害していることになる。

 

なにより、演説を妨害するということは、他方の意見を聞かない、他方の主張を認めない行為だ。

 

この行為が正しく批判されない日本の報道やコメンテーターのあり方に問題がある。

 

 

 

以前のブログ記事にも書いたが、

 

「安倍・菅を監獄へ!」というプラカードを持って批判している行為も、自分たちとは異なる考えを持った者を排除する行為に等しい。

 

たとえ安倍政権が嫌いだとしても、このような批判の仕方は民主主義の日本において許されてはならない。

 

「安倍・菅を監獄へ!」という発想は、国家の意に反する者を反逆者として収容所送りにするどこかの国と同じ発想だ。

 

多様性が認められるべきならば、たとえ嫌いな人の選挙演説でもそれを妨害してはならないし、「安倍・菅を監獄へ!」などという批判の仕方をしてはならない。

 

このことを報道しないマスコミ、指摘しないコメンテーターはどうかしている。

 

安倍政権より、むしろマスコミやコメンテーターのあり方の方が非常に危険だと感じる。

 

 

 

そもそも、都政のための都議会なのに、なぜ、国政と一緒にしようとするのか。

 

国民に対するマスコミの誘導としか思えない。

 

全体を俯瞰して見ていると、安倍政権を批判したい者ほど、安倍政権にとって不利になるようなものを何でも関連付けようとする。

 

だから、事の本質からそれてしまうのだろう。

 

アベノミクスが成功したとも思っていないし、安倍政権の内政に満足しているわけでもないが、物事の本質をないがしろにしてまで批判するのは嫌いだし許せない。

 

都議会議員選挙は都政のための選挙であり、国政と一緒にするのは筋が通らない。

 

選挙演説を妨害する行為を批判せずに、妨害している人たちに対して発した言葉だけを批判するのは、選挙の場ということを考えた場合、筋の通った批判の仕方ではない。

 

マスコミやコメンテーターが、安倍政権批判のために歪められた、というか、自ら歪んだのではなかろうか。

 

批判するなら正しいやり方で!

 

私としては、安倍政権に不満はあるが、だからといって、秋葉原で「安倍辞めろ!」などと言っていた集団を応援する気にはならない。