明治神宮外苑で開催された現代アートの展示イベントで、日本工業大学の学生有志らが制作した木製の作品が炎上した事故。

 

白熱電球の熱で木くずが燃えると、誰も予測できなかったのだろうか?

 

白熱電球に触れて熱かったとか、火傷を負ったという経験をした人はいなかったのだろうか?

 

キャンプなどでおが屑を使って火を起こしたことはなかったのだろうか?

 

虫めがねで木材や紙を焦がしたことはなかったのだろうか?

 

教科書以外の知識、経験が少なくなっているのでは?

 

学校の教科書では、「白熱電球を長時間使用していると高温になり、それに紙など燃えやすいものを近付けると茶色に変色し、やがては発火することがあるので危険である。」などと書いているものは無いだろう。

 

このようなことは、日々の生活の中で自ら学びとるものだ。

 

そんなことが希薄になっているのかもしれない。

 

そして、木くずがぶら下がっている中に白熱電球を使った投光器が置かれていることに気付かない、気付いても何とも思わないというのも、何かが足りていないように思う。

 

生活の中での危険を察知する感覚、生活の中での危険性を予測する想像力などなどが薄れているのでは?

 

今の日本人は、生活で必要な知識、役に立つ知識が少なく、物事に対する判断力、想像力も低下しているように思う。

 

普段口にしている魚の名前を知らないとか、そんなことどうでもよいように思うかもしれないが、白熱電球で紙や木くずに火がつくことを知らないのと同レベルだと思う。

 

言い換えれば、それくらいのレベルの知識があるかないかで、人の命が左右されることにもなるということ。

 

基本的な人としての知識、能力、考え方のレベルが低下していることで起きた事故、防げなかった事故、守れなかった命。

 

慶応大学の学生が駅のホームから彼女を突き落した事件も、先日のサークル内での暴行事件も、東大生の暴行事件も、基本的な人としての知識、能力、考え方のレベル低下が背景にあるように思う。

 

学力の精進よりも、人としての精進が足りていない気がする。