日本弁護士連合会(日弁連)が開催した死刑制度に関するシンポジウムに、作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんがビデオメッセージを寄せ、死刑制度を批判したうえで「殺したがるばかどもと戦ってください」と発言したそうな。

 

死刑制度に反対の人ならそう思うのでしょう。

 

しかし、自分の親、兄弟、愛する人が殺されようものなら、その犯人に対し同じ目にあわせてやりたいと思うのもわかります。

 

人が人を愛し、その人がたとえ結婚していたとしても、諦められず不倫に至ってしまうのが人間の性ならば、

 

愛する人を殺された人が、その犯人を殺したいと思うのもまた人間の性なのではなかろうか?

 

人が人を裁くことを前提に人は生きているのだから、この性を受け入れ生きていくべきなのでは?と思う。

 

 

 

まったく異なる視点から言わせてもらうと、

 

そもそも人間なんてそんなに大切にされるべき存在なのだろうか?

 

人間の存在自体が地球にとって、人間以外の生物にとって迷惑だったりはしないのだろうか?

 

図々しく増え続ける人間だが、希少価値によって金やダイヤモンドの価値が高いとなると、増え続けている人間の価値はどんどん下がっていることになるのではないだろうか?

 

地球から見て、70億人にもなろうとしている人間の価値はどれほどのものなのだろう?

 

地球温暖化は人間がいなくなればすぐさま解決するだろうし・・・などと考えると、人間は地球にとって迷惑な存在なのだろうと、肩身の狭い思いをしながら生きるのが正しい生き方なのかもしれないと思ったりもする。

 

 

 

人が人の価値を大した根拠も無く高くしている部分はあるかと思う。

 

そういった価値観でもって死刑制度反対と考えるのは人間のエゴが中に含まれているように思えてしまう。

 

明らかに人の命を奪ったのであれば、その人と同じ思いを体験してもらうのは自然なことであり、筋が通っているように思う。

 

問題は、明らかではない場合だ。