友人との旅行、もうやめようかと思う。

 

客観的に振り返ると自分が可哀そうに思えてならない。

 

 

 

毎回、毎回、私が企画し、私がすべてを手配し、私が道案内やら時間調整などしてきたが、費用は毎回しっかりと割り勘で、特にお礼や昼飯を奢ってもらうことなどもなかった。

 

それでも何人かで行けば交通費が安くなるからと思って10年以上、年に数回、合計数十回になるだろうか、特に疑問に思うことも、嫌になることもなく続けてきた。

 

友人達が既に行った所や明らかに興味なさそうな所を避けるなど配慮しながら、何日間もかけて企画、手配してきたが、

 

良かれと思って立ち寄った海の見える所で、「○○の海の方が綺麗だ」などと言われること2回。異なる観光地でまったく同じセリフを2回吐かれ。

 

食事をすれば、料亭でもない、街によくある食堂で食べたものに対して、自分は料理などしないくせに、細かく何がまずかっただの吐かれ。

 

私が運転をすれば、助手席で眠るだけで、サポートせず。

 

それでいて運転を任せれば、カーナビの設定や途中途中の道案内やらをすることになり、助手席で眠ることなどできず。

 

振り返ると、こんなことの繰り返しだと思うようになってきた。

 

最近はそれだけにとどまらず、私が運転していれば、助手席で終始スマートフォンをいじり、メールやSNSをしている。

 

食事中もスマートフォンを見ながらだ。

 

小料理屋のカウンターで食事中、カウンターの向こうで店主が調理している前で通話し始めた時にはげんなりした。

 

今のこの場所、この時より、スマートフォンの向こうにいる人との会話やSNSの人たちとの時間が大切ならば、旅行などしなければよかろうにと思うが、

 

そのSNSへの投稿のネタのために旅行しているのだろう。

 

旅行の行程、時間を友人と共有するのではなく、SNSの中の人たちと共有しているようで、嫌な思いをさせられることが増えてきた。

 

 

 

何日もかけてドライブルートを考え、宿を探し、天気を気にしながら微調整をしたり、そんなことをしていることを知ってもらおうと、「今度はそっちで手配してくれ」と言ってみたが、「そんなクソめんどくさいことやってられねぇ」と言われ、旅行自体を取りやめた。

 

クソめんどくさいことだとわかっていながら、それをしてもらっているという自覚は無いようだ。

 

企画、手配、道中での決断などすべて人任せ、運転中もサポートせず、食事の場所も人任せにしておきながら、食べ終わると評論を聞かされる。

 

先日の旅行で、「旅行会社に旅行行程を組んでもらうと約3,000円、宿の予約1件約500円、毎回、昼飯、夕飯奢ってもらってもバチ当たらないと思うぞ」と告げて、初めて奢ってもらったが、当然ながら気分は良くなかった。

 

人のことを考えない人のために私は色々と考えて企画、手配してきたわけだが、人のことを考えない人には何も伝わらないのだろう。

 

だからこそ、私の代わりに企画、手配をしてもらおうとしても拒否。

 

企画、手配してくれてありがとう、ご苦労さんということで、「ここは俺が奢るよ」ということであれば、気分も良いだろうが、「お前が俺に奢ってもバチは当たらないと思うぞ」と言ってようやく奢ってもらってもねぇ・・・

 

結局、嫌な思いをするに変わりない。

 

 

 

ということで、しばらく一人旅にします。

 

友人とは違い、企画も手配もできますし、これまでも一人旅はしていたので問題無し。

 

友人のSNSのための旅行にはお付き合いいたしません。

 

私もバカにされたものだな。

 

ある意味、中毒症状なのでしょうな。

 

常にSNSを気にし、スマートフォンでチェックしている。

 

私も一応ITを扱う部署で勤務してきて、今でもITを扱う仕事をしており、パソコンやスマートフォン、その他、サーバやらネットワークやらに詳しい人間ですが、

 

旅行中や外出時はほぼスマートフォン見ません。

 

そんな道具に行動を左右されるような生き方はしていません。でも、それらについては詳しく知っているといった感じ。

 

 

 

当たり前のように友人の企画に乗っかり、企画してくれた友人の気持ちなど考えずに、自分勝手に振る舞っている人、結構いるのではありませんか?

 

と、問うたところで、そんな人はそもそも自分の振る舞いがそうであることに気付いていないか・・・

 

現実に旅行をし、同じ時間に同じ場所に居る人とその時間、場所を共有せず、スマートフォンを使ってSNSの中の人たちと時間を共有するならば、一緒に旅行する意味は無い。

 

人と人が面と向かって接することより、スマートフォンを使用してSNSで接する人の方を大切だと考えるなら、そんな友人は私には必要ない。

 

SNSを重視するあまり、気心知れた友人を失うことになるだろう。