性善説と性悪説を悪用しているようにしか思えない「政治資金規正法」
私が思うに、性善説とは、
人間は生まれた時は善人で、年齢を重ねるうちに汚れていき、善人ではなくなるので、日々、自分自身を律して生きなければならない。
というものだと考えています。
そして、性悪説とは、
人間はそもそもが悪なのだから、善人になるべく、日々精進しなければならない。
というものだと考えています。
つまり、どちらも自分自身を律し、日々精進しなければならないということ。
もっと詳しく言えば、
人間はダメな生き物だからこそ、自分自身を常に律して、日々精進しなければならない。
それほど人間はダメなものなのだとも言えるのです。
それほどダメな生き物なのだから、法律でしっかりと律しなければならないということです。
よって、性善説を理由に、政治資金規正法をざる法にしているのは、大きな間違い。
性善説であろうが、性悪説であろうが、どちらにしても、自分自身を律し、日々精進しなければならないことに変わりはない。
だからこそ、法律でしっかりと律し、それをしっかりと守るべく、日々精進しなければならない。
政治家って、今の時代は大抵、大学卒業している者がやっているが、こんなことも知らないのですかねぇ。
自分自身を律せず、日々努力、精進せずに、素晴らしい人でいられる、素晴らしい人になれるとでも思っているのでしょうか?
自分自身を律し、日々精進している人でなければ、素晴らしい人にはなれませんし、素晴らしい人であり続けることもできません。
ざる法に甘えていて、素晴らしい政治家になれるわけがない。
性善説を主張するならば、悪人にならぬよう、今すぐにでも自分自身を律するべきだ。
つまり、政治資金規正法を厳しいものに変えるべきだ。
性悪説を主張するならば、善人になるよう、今すぐにでも自分自身を律し、努力するべきだ。
つまり、政治資金規正法を厳しいものに変えるべきだ。
どちらにしても、政治資金規正法を厳しくすべきということだ。