「最後は金目でしょ」


この言葉がすべてを表している。




石原環境大臣は、「お金ですべてを解決しようなどと思っていない」というようなことを言ってはいるが、


「最後は金目でしょ」の「最後」というのは、「結局は」と言い換えることもでき、「結局は」は「すべては」と言い換えることができる。


「最後は金目でしょ」の「金目」というのは、読んで字のごとく、他に言い換えるひつようもないほどの明確な「カネ」を表現している。


「最後はすべてカネで解決させましょう」ということだ。


さらに腹が立つのは、そのカネは国民の税金だ。


石原環境大臣のポケットマネーではない。


原発事故対応をいい加減に考えているだけでなく、国民の税金をもいい加減に扱うという、2つの悪が込められた発言ということになる。




こういった思い、考えがなく、この発言をしたのであれば、


医学的に問題があるとしか思えない。


つまり、思いもしないことを口が勝手にしゃべったわけでしょ?


大臣どころか、国会議員をやっている場合ではないです。


即入院し、精密検査をしましょう!




人間の行いにはすべて理由があります。


心にもない、考えもしないことを突然話したりはしません。


心のどこかに、頭のどこかにそのような考えがあったからこそ、「最後は金目でしょ」という言葉を発したはず。


アナウンサーが言葉を間違えるのとは大違いです。




そして相変わらずの「撤回」。


アナウンサーが原稿を間違えて読んだときには、「訂正してお詫び」で済むだろう。


しかし、心にもないことを言ったわけでなく、心にも頭にもあったからこその発言を「撤回」したところで、


そういう思いが心にあるんでしょ?


そういう考えが頭にあるんでしょ?


原稿を読んだわけじゃないでしょ?


形である言葉を撤回しても、目には見えないそういう思いやそういう考えが消えたかどうかはわからない。


つまり、基本的に、自分の思い、考えで発した言葉は、「撤回」などできないのです。


思いや考えを伝えるのではなく、状況、事実、出来事を形として伝えるアナウンサーの発する言葉とは訳が違う。


もういい加減、自分の思い、考えから発した言葉を「撤回」できるなどといった甘い考え方は捨てましょう。




政治家にとって言葉は武器であり、命とも言えるもの。


それほどのものを安易に「撤回」とか、「なかったことに」とか、「オフレコで」といった扱い方をするのは、政治家というものを舐めているとしか思えない。


自分の考え、思い、理念、信念、そういったものがあって政治家をしているのであれば、自分の発する言葉には常に魂を込めて発するべきだし、


魂を込めて発するということは、政治家として命がけで言葉を発するということだと思う。


今回の件は、簡単に「撤回」できてしまう程度の覚悟でしかないということが判明したわけだ。


政治家をお辞めになった方がよろしいのではと。



もう一度言う。


アナウンサーが原稿を読み間違えたのとは違う。


心か頭のどこかにそういった思い、考えがあったからこその「最後は金目でしょ」発言だ。


「最後は金目でしょ」という言葉を撤回しても、腐った魂は残っている。