ナイジェリア東北部ボルノ州で、イスラム過激派組織「ボコ・ハラム」が三つの村を襲撃し、住民ら少なくとも200人を殺害した。
ボコ・ハラムはキリスト教徒のジョナサン大統領を敵視してテロを繰り返しており、4月に女子生徒200人以上を拉致した。
といったニュースがあった。
イスラム教やキリスト教に限らず、宗教間の争い、宗教が異なることを理由とした偏見や争いが絶えない。
こういったニュースを聞くたびに思うのが、
それぞれの宗教の教えの中に、「命を粗末に扱ってはならない」といった教えは無いのだろうか?
また、「異なる考えの人ならば殺害してもよい」などといった教えがあるのだろうか?
それぞれの宗教を学んだわけではないが、
おそらく、そういった教えは無く、むしろ、命は大切にし、一生懸命生きろといった教えがどの宗教にもあるのでは?と思うのだが・・・
異なる宗派や宗教信者を殺せと説いているものではないはず、イスラム教もキリスト教も。
結局、後々の人々の勝手な拡大解釈と過ち、さらには教えよりも自分たちの考えを重視したことによる争いがほとんどなのではないだろうか?
つまり、教えに反している行いということになる。
例え宗教が異なっていようと、命を奪ったりすれば、教えに反したとして罰を受けるべきだし、この世で罰を受けないのであれば、あの世で罰を受けることだろう。
宗教を超越した教えというものがあってよいはずだ。
逆に問いたい。
信仰している宗教が異なれば、その者を殺してもよいなどという教えがあるのか?
200人以上もの女子生徒を拉致したり、200人もの人を殺害することを神が望み、喜んでいるのか?
そうでないのであれば、ボコ・ハラムの行いは教えに反しているということになる。
本質を見失った状態での宗教では意味が無い。
本質を見極めた状態で信仰して初めて意味を成すものだと思う。