やはり、大企業となるとポリシーや誇りよりも金儲けが優先されてしまうのでしょうか?
自分たちの作っているものが言わば「偽物」だとしても、そこで働いている人たちは「それでよい」と思ってしまうものなのでしょうか。
集団、団体、組織になってしまう、その中に入ってしまうと、個人のポリシーも誇りも正義感も簡単に曲げてしまったり、無くしてしまったりするものなのでしょうか、人は。
頑固なまでの職人気質みたいなものが、昔の大企業にもあったような気がしますが
とにかく低賃金で人を雇い、低価格で材料を仕入れ、少しでも多く利益を得ようとすればするほど、ものづくりに対する拘り、信念、誇りというものは邪魔なものになるのでしょう。
それらがないがしろにされ、その状態が長く続いてきた今となっては、「偽物」を使うことが常識となってしまったのでしょう。
これまで大企業に飲み込まれたり、押されてきた中小企業や個人商店の良さが再び見えてきました!
大企業の閉鎖された場所でどんな人が作っているかわからないものと、街の中小企業、個人商店の○○さんがどんな思いで作っているかがわかるものとの差が見直されてくることを望みます。
価格のように目に見えるようなものだけではなく、そのものに込められている生産者の思いに価格以上の価値があることにそろそろ気付いてほしいものです。
作られたものにどれだけの思い、信念、誇りが込められているのかを感じ取れるようになれば、「偽物」に簡単に騙されるようなことは減ってくるでしょう。
ものづくりに携わっている人がそれに対する拘り、信念、誇りを持たずに当然のように「偽物」をつくっているとなると、
いったい、どこで「本気」を出して生きているのか・・・
毎日のことが「嘘」だとすると、すべてが「嘘」なのではと思えてしまいます。
本気で生きていないのではと
あぁ、「偽物」づくりに本気を出しているのか