松江市教育委員会が漫画家・中沢啓治さんの代表作「はだしのゲン」の描写が過激だとして、直接児童・生徒の目に触れない閉架扱いにするよう全市立小中学校(49校)に要請していたことがわかった。


作品には、旧日本軍が人の首をはねたり、女性に乱暴したりする場面があることから、市民から撤去を求める声が上がり、市教委が昨年12月、全校に要請した。



実際に起きた事実を直視させず、その事実があって今という現実があることを考えさせないという愚かな対処だと思う。


描写が過激であろうと、どうであろうと、それが事実であり、その当時の子どもたちはその現実を目にして生き、これまで生活してきた。


絵に描いたものや写真以上の「現実」というものを目にし、それぞれが様々な思いを抱きつつ生きてきたわけだ。


その中には、もう二度とあのような現実を見たくはない、あのようなことを引き起こさない社会にしなくてはならない、などと強く思った人たちもいることだろう。


そういったことがあって、これまで半世紀以上も同様のことを繰り返さずに来れたとしたら、松江市教育委員会の対処は再び戦争を引き起こしかねない方向へと進めるものだと思う。



描写が過激であろうが、実際にそれ以上に過激な惨状が現実としてあったわけだし、その当時の子どもたちはそれを直視しつつ生きてきた。


描写が過激だからと、現実以下の写真や絵に描いたものすら隠してしまえば、本当の悲惨さ、恐ろしさなどまったく想像すらできなくなるだろう。


戦争の悲惨さ、恐ろしさ、虚しさをまったく理解できない人たちが増えたとしたら、戦争を軽視し、安易に戦争へと進むのではないだろうか。


松江市教育委員会の対処は実に愚かだ。


戦争を引き起こさないためのはじめの一歩とも言える「はだしのゲン」に触れさせないで、どのように戦争の悲惨さ、恐ろしさを教育するのだろう。



撤去するよう声をあげた市民も愚かだ。


描写が過激?


描写がどうであろうと現実に起きた事実だし、その事実に比べれば過激ではない。


子どもの頃に親が死んでしまったらなどと勝手に想像しては泣いていたことがあったが、実際に親を亡くしてしまうとその程度の悲しみでは済まず、空虚感と後悔に必死に耐えなければならないことを痛感した。


現実と描写や写真にはそれほどの差がある。


にもかかわらず、描写が過激だからとそれすら見せないようにしたら、事実、現実の1割も理解できないだろう。


子どもたちに実際に起きた事実、現実を直視させず育てたのちの結果も直視したくないようなものにならぬといいが・・・



目の前で家族が死ぬ、死んだ人の遺体が街に横たわっている。


そんな状況を目の当たりにしても、生きていく。


悲惨で恐ろしい過激な惨状を目の当たりにしたら子どもの成長に悪影響?


悪影響はあるでしょうね。それでも生きていくし生きてきたから今の日本がある。


でも、写真や絵と現実とではものすごい差があります。


現実を見てもしっかりと生きてきた、現実を見て二度とこの惨状を引き起こすまいと生きてきた人が多くいる。


現実の半分以下しか感じ取れない写真や絵を見て生きられなくなる、生活できなくなるとしたら、今後どうやって生きていくの?


親の死に立ち会うこともあるでしょうし、交通事故の現場を目の当たりにすることもあるでしょう。


地震や津波の被害を受け、多くの方が亡くなるのを見ることもありえるでしょう。


最悪は、再びの戦争で悲惨な惨状を見るかもしれない。


現実世界で起きた事実すら直視しないで、何を見るの?


事実は年齢など考慮せずあるもの。


小学生の目の前では戦争は起きないの?


小学生の目の前では親は死なないの?


小学生の目の前では交通事故は発生しないの?



本質を見失い、筋を通さぬようになると物事は悪い方向へ進む。


「はだしのゲン」という作品の本質はなに?


むやみに子どもたちを怖がらせるためのもの?


現実に起きた事実をしっかりと伝えない、見せない、隠すという行為は筋が通っていると言える?


「戦争は武器で戦い打たれたりしたら死んで、多く死んだ方が負けで、負けた方がお金を払うんだよ」とでも教えるつもりなのだろうか。


戦争を教える、伝えるとはそれが本質?


実際に起きた悲惨さ、恐ろしさ、虚しさ、そういった思いを教え、伝えることに本質があるのでは?


過激だからといって隠してしまっては、本質は伝わらない。


過激だからといって事実を曲げてしまっては、筋が通らない。


本質を見失い、筋の通らないようなことをしていると、再び戦争へと進むことだろう。



もしかして、鬼が子どもをさらって食べてしまうなんていう昔話なんかもダメなの?


童話とか昔話って結構えぐい内容なんだけど、そういったものに触れながら子どもは成長するものだと思うのだけど。



何があっても強く生きていく、戦争など引き起こさない、そんな人に育ってほしくはなくて、


ただ、今を平穏に「はだしのゲン」を見て恐怖感を抱いたりせずに生きて欲しいだけなの?


今があって未来がある。


今がそれで、未来はどうなる?それをもう少し考えるべきだろう。