つい先日書いたブログ記事「橋下氏の発言について 」の中で触れた内容でもあるのですが、


韓国の中央日報で「原爆投下は神の罰」という内容で記事が掲載されていたようです。


まぁ、東日本大震災時に「ざまぁみろ」的な考え方をしていた人もいたようですので、今さら驚いたりはしませんが。



この韓国中央日報のものの見方は、日本による侵略を受けたとする被害者側の視野からしか物事を捉えていない、偏った、不自然な、本質を無視したものの見方です。


日本が侵略したのだから当然の罰だと考えるならば、逆に、罰を受けるのであれば侵略してもよいという考え方もできてしまう。


そういうものではないでしょう?


被害者側、加害者側の区別なしに、その物事自体がどうなのかという物事の本質をしっかりと判断しなければならない。


それができていないからこそ、世界の各地で紛争や戦争が絶えないのではないだろうか。


相手がどうであれ、自分がどうであれ、「ならぬことはならぬ」というものが物事にはある。


あの当時の戦勝国が100%正しい国となっているから、あの当時の戦敗国日本が100%悪い国とされているわけですが、


本当にそうなのだろうか。


確かにあの当時の日本の行いは間違ったものが多かった。


しかし、戦勝国となった国々が100%正しい行いをしたとは言えないだろう。


そして、


100%悪い国なのだから、その国の国民はたとえ武器を持たず抵抗していない赤ん坊でも、ものの数秒で数万人も虐殺されてよいという考え方は正しいのだろうか?


それが正しいと言うのであれば、「虐殺はしてもよい」ということなのだろうか?


そもそも、100%悪い国だと誰が決めたのだろう?


アジアを侵略し、植民地支配していた国が、ひとたび戦勝国となれば、100%正しい国になり、


同じくアジアを侵略し、植民地支配とは違う形の支配をしようとした国が戦敗国となれば、100%悪い国になる。


実に浅はかで短絡的で、本質を無視した考え方だ。


このような考え方ならば、もし、日本が戦勝国となっていたら、その当時の日本の考え方や行いが正しいものとなったのだろう。


さらに、


自分たちの国民への虐殺は許せなくても、敵国への虐殺はしてしまえというのは筋が通らない。


このような筋の通らない考え方だからこそ、いつまで経っても解決しない。



自分の立場などを排除し、物事の本質を捉えなおすところから、過去をしっかりと検証しなければ、真の解決には至らない。


日本が武力でアジアを支配下に入れようとしたことは悪いことであり、間違った行いだ。


だからといって、日本に原爆を投下したことが良いことにはならない。


日本に原爆を投下したことも悪いことであり、間違った行いだ。


そう考えられるようにならなければ、人類が成長したとは言えないのだろう。



宗教間の争いも同様だと思う。


詳しく勉強したわけではないが、どの宗教でも、「命を粗末にしてもよい」、「異教徒ならば殺せ」などと明確に記されている宗教はないだろう。


本来はその逆を説いているのだと思うのだが、それぞれの宗教において拡大解釈や本質からそれてしまった解釈によって


異教徒だから殺してもよいなどという間違った方向へ進んでしまったのではないだろうか。


本質を見失ってはならない。


おそらく、どの宗教も始まりは同じような考え方だったはずだ。