主権回復の日?
どこにおける主権回復なのだろう?
1951年9月8日に調印、1952年4月28日発効したサンフランシスコ講和条約。
これにより日本の独立、主権回復がなされたとして、安倍政権が4月28日を主権回復の日と定め式典を開催したわけです。
しかし、
1952年4月28日の時点では、奄美群島、小笠原諸島、沖縄は日本に返還されておらず、この地域に限っては主権は回復していなかったわけです。
奄美群島は1953年、小笠原諸島は1968年、沖縄は1972年に日本に返還され、本当の意味での主権回復は1972年沖縄返還以後だと言えるのです。
結局、東京目線でしか物事を考えていないということなのだろう。
だからこそ、アベノミクスによる公共事業拡大が優先され、被災地の復興は相変わらずスローペースで本腰を入れているように見えないのかもしれない。
ここで改めて過去を振り返ると、
東京オリンピックが開催されたのは1964年、その時点では小笠原諸島も沖縄も日本ではなかったわけです。
小笠原諸島や沖縄の人たちからしたら、この東京オリンピックはどのようなものだったのだろう?
自分たちは未だに占領下にありながら、本土の東京ではお祭り騒ぎをしている。
このことをどう思ったことだろう・・・
歴史の授業で東京オリンピック開催を教わったが、その当時は単に輝かしい出来事だとしか思わなかった。
その当時の私自身も東京目線、中央目線でしか物事を捉えていなかったということだ。
東京オリンピック開催という出来事の影に隠れていた事実をも含めて捉える。そんな歴史の授業を行っていれば、中央目線でしか物事を考えられない人はもう少し減ったでしょう。
1972年までは主権を回復した地域、占領下にあった地域、2つの日本が存在していたことを忘れてはならない。
ぜひ、占領下にあった地域から見た東京オリンピックを想像してもらいたいです。
きっと疎外感を感じていたに違いない。
被災地から見た東京、中央はどうだろう・・・
疎外感を感じ始めてはいないだろうか、心配です。
私は以前から、「本質を見失った」、「筋の通らない」物事は悪い結果をもたらすと言っていますが、
今回の出来事、4月28日を主権回復の日などと定め、式典を開催したことも、「筋が通っていない」物事だと考えます。
なぜなら、1952年4月28日時点では、小笠原諸島も沖縄もアメリカの占領下にあり、主権などなかったのですから。
そんな日を「日本の主権回復の日」とするなど筋が通らないのは明白。
その日を「日本の主権回復の日」と言うのならば、小笠原諸島も沖縄も日本ではないと言っているに等しいのです。
安倍政権が筋の通らないことを行ったせいで、沖縄県民の反感は高まることでしょう。
だから言ったでしょ!
「本質を見失ってはいけない!」、「筋の通らないことはしてはならない!」と
これさえ守っていれば、世の中の物事はそれほど悪い方向へは進まないはずなのです。