日本大使館の公用車を襲撃したことについて中国のネット上では8割もの人たちが「良いこと」だとして支持しているとのこと。


相変わらずの反応であり、成長している様子はうかがえない。


やって良いこと、やってはいけないことという絶対的な基準がなく、対日本なら何をしてもOKという、法ができる以前の野蛮な考え方が主となっている。



中国国民にとって法律、規律、決まり事、秩序というものは存在しないのだろう。


それよりもただただ「日本になら何をしても良い」、「日本人なら襲撃しても良い」という野蛮極まりない考え方しかないのだろう。


条約や法律に反してはいけないという考えよりも、条約や法律がどうであれ対日本ならばそんなもの関係ないという考えの方が上なわけだ。


だからこそ、日本人が理由も無く殺されかねないと心配しているわけだ。


また、自分たちが同じことをされたらどう思う?という、自分たちに置き換える考え方も存在しない。


なぜなら、自己中心的だからだろう。


自己中心的であるからこそ、わざわざ相手の立場に立って物事を考えたりしないというわけだ。



中国国民がせめて条約や法律を軽視するだけなら、それは今後の教育によって変化させることができるが、


国民気質として自己中心的な思考を持っているとなると、それを変化させることは相当困難だろう。



何をどう指摘しても、「そんなの関係ねぇ」で跳ね除けられてしまう。


法律を守れと指摘しても、「そんなの関係ねぇ」


国際常識を守れと指摘しても、「そんなの関係ねぇ」


自分たちが同じことをされたら嫌じゃないのか?と指摘しても、屁理屈をこねて、「こっちも嫌な思いをしているのだからやっていいんだ」と言うだろう。



つまり、手の施しようがない。



日本大使公用車の国旗を奪い取るという行為が野蛮であり、その行為を良いことだと思うことも野蛮であると自らが気付くまで、


中国国民の成長はないだろう。



公用車の国旗を奪ったところで世界の何が変わるのだろう?


そんな行為で喜び、日本を蔑むことで、中国国民の品格が日本人より上だという錯覚に酔いしれていては、いつまで経っても世界から称賛されるような国民にはならないだろう。


日本人は東日本大震災の際に世界から称賛された。


サッカーW杯やオリンピックの際にも世界から称賛された。


ネット上ではオリンピックサッカーの試合後に会場の清掃をしている日本サポーターのことを称賛している記事も見た。


秩序を保ち、品格を損なうようなことはしない。


それが今の日本国民に対する世界の評価だ。


そんな日本人よりも上に立ちたいのであれば、日本人以上に秩序を大切にし、品格を持たねばならないだろう。


それを今の中国国民に達成できるだろうか?



経済で上に立っても、それはやがて衰退するだろう。


しかし、秩序と品格を保つことは永遠に可能だ。