「思想、信条の自由に反する」ということで報告を拒否している職員もいるとのこと。



心の中で思っていたり、ポリシーとして心の中に持っている分には何の問題もありません。


ただ、それを目に見えるものにしてしまうと、人によっては見たくない人もいるわけで


その兼ね合いというか、程よい塩梅というか、そういった部分を見付け出すのが今の人は苦手なのだろうか?



「思想、信条の自由」でも言われている「自由」とは、自分勝手にという単純な意味合いではない。


周囲の人、関係する人たちの思いも考慮しつつという条件が付いての自由だ。


何事においても「思想、信条の自由」が優先されるなら、


「俺はこの道を時速180キロで走ることを信条としている」なんてことが通用してしまうことになる。



てか、日本の文化において、入れ墨(あえてタトゥと言わず)は、大衆の目に触れるのをよしとしない文化である。


銭湯や旅館の風呂、プールなどでお断りされるのもそのためで、日本人である以上、日本に住んでいる以上、こういった文化からは逃れられない。


それでも入れ墨をするということは、それなりの信条を持っているということなのだろう。


ならば、その信条のために外国に移住するということまでは考えないのだろうか?


そこまでの信条ではないのか・・・


なんだ


そうか


単なるファッション感覚の人もいるのでしょう。


自由なのですからファッション感覚で入れ墨をしようが、私は気にしない。


以前、富山の温泉に行ったとき、背中半分に入れ墨をした50代くらいの男性がいた。


年齢で判断するのも何ですが、明らかにファッション感覚での入れ墨ではないでしょう。


まぁ、私は気にせず普通に入って


「この風呂熱いですね」


「そこに水道あるから少し薄めるといいよ」


などと会話もかわしてきた。


人によっては避けてしまう人もいることでしょう。


そんな社会の反応なども背負ってのファッション感覚入れ墨なら何も言いません。



ただ、入れ墨を入れたあとから、社会に向かって「思想、信条の自由だろ」と言うようなことは格好が悪い。


社会からどんな目で見られようと俺は俺だ。


社会から何を言われようとも俺は何も言わねぇ


くらいの覚悟とポリシーを持っての「思想、信条の自由」を実現していただきたい。