情報を積極的に発信しないということは、国民は何のリアクションもできません。


少なくとも、何をどうするのか、それに向かってどれだけのことをしているのかがわからない人を応援したいとは思わない。


「自分は○○を□□にすべく、△△して頑張っています。ですから、皆さん応援してください。」


と国民に協力を求める、国民を説得する。


そういったアクションがここ数年の総理大臣には無い。



何かに向かって頑張っている人は何となく応援したいものであるが、


何に向かっているのかもあやふやな人を応援したいと思う人はいないでしょう。


とりあえず傍観することしかできない。


その傍観にも限度がある。いつまでも状況が変わらなければイライラしてくる。


それが人の心理。


こんな当たり前のことすらわかっていないとしたら・・・ 


そんな人に人に対する政治を任せてはおけない。



そもそも、日本の総理大臣の価値はあまりにも低すぎる。


「議員生活の中で一度はやってみたい」程度の意気込みでやられては大迷惑である。


総理大臣辞任後も議員を続けている人の多さがそれを証明しているようにも思える。


総理大臣になって自らのすべてを燃焼しつくしていないからこそ、その後も議員生活を続けられるのでしょう。


以前にも書きましたが、


1年ごとに総理大臣が交代していると、国会議員の中にごろごろ総理大臣経験者がいる状況になる。


変じゃないですか?


ちょっとした役職程度に思えてならない。


そんなもんだから、総理大臣になっても責任の取り方は辞任すればいいや となるのでしょう。


辞任後も議員を続ければいいわけですから。


総理大臣になり辞任した場合、その後は国会議員にはなれないようにしたらどうでしょう。


つまり、総理大臣が最高の役職であり、最終の役職でもあると明確にする。


総理大臣になったら自分の議員生命を燃やし尽くすべく仕事に取り組んでいただく。


そうなれば、よほどの覚悟なしに総理大臣に立候補することはないでしょう。


今一度、総理大臣の価値を高め、それに相応しい人物だけの立候補を促す必要があります。



国の寿命がかかっている状況下で、自分の議員生命すらかけられないような人に国を任せることはできない!