日本全体がそうであったのではないでしょうか、


私個人としても2011年は落ち着かない1年間でした。



1月11日に祖母が緊急入院し、1月だけで2回新潟へ。


しかも大雪の中をフォレスターで。


2月に祖母が他界し再び新潟へ。


病気だったわけでもなく、本当に突然体調を崩して入院したので、2011年に入ってすぐにこんなことが起こるなんて、まったく予想もしていませんでした。



そして、3月11日に東日本大震災。


その2日前に仙台で強めの地震があり、仙台の友人に大丈夫か?とメールしたのですが、


まさか11日にもあれほどの地震が発生し、津波が押し寄せるとは・・・


11日は自宅でパソコン作業中でした。揺れを感じ、どうせすぐに収まるだろうと思っていたら


少しずつ強くなり、収まる気配がありませんでした。


揺れている中、落ちたら壊れるものを床に置き、テレビをNHKに切り替え、そうこうしているうちに震度5の揺れへと強まり、「これ以上は強くならないよな、なるのか??」などと思いながら堪えていたのを覚えています。


本当にそれくらい長い時間揺れていたのです。


テレビを見ていると、大津波警報が出され、予想潮位が50センチや1メートルと表示されていました。


これまでなら、50センチと予想されていても実際には観測されなかったり、少し潮位に変化があるだけのことが多く、


警報が出されても、毎回、「どうせ平気だろう」と思っていたのですが、


3月11日は違っていました。なぜか必死に「早く避難してくれ、早く避難してくれ」と心の中で叫んでいたのです。


今思えば不思議ですが、ただ事ではないと感じたからなのでしょう。



その後は悪夢のごとく、現実とは思えない、思いたくない出来事の連続。


関東でも緊急地震速報が連発。


その夜から半身浴などできず、携帯を近くに置いた状態でさっとシャワーを浴びる日が続き、


ロフトベッドではなく、床に寝るようになりました。


さらに原発事故も併発し、それが日に日に悪化。大爆発するのではと不安な状態が続き、夜寝ている時もNHKテレビをつけたままにしていました。


計画停電も実施され、時間を気にしながらパソコン作業や炊事をするようになり


3月、4月もまったく落ち着かない状態でした。



そして7月には引越し。


気付いたら2011年は何の計画も無い状態で時間だけが過ぎていました。


いつもなら、新年の始まりである1月や新年度の始まりである4月に合わせて、どう進めていくかという計画をたてるのですが、


1月には祖母の緊急入院があり、2月には祖母の葬儀、3月には震災、4月、5月頃まで強い余震や放射性物質、計画停電などにより落ち着かず、


計画どころではありませんでした。


当然、計画が無い状態ではまともに前進することもできず、2011年はただ時間が過ぎただけに終わってしまいました。



2011年は物質的にも、経済的にも、絶対ということはあり得ないと痛感しました。


地震や津波、原発事故によって、財産だけでなく命をも失ってしまう。


そして、日本だけが頑張っても、海外の状況によってはどうにもならない。


あれほど強かった日本のテレビや自動車が、海外では韓国や中国メーカーに負け、シェアをどんどん失っている。


日本の大企業とて簡単に姿を消してしまう。


企業だけでなく、年金制度や介護保険制度も破たん状態となり、国自体も破たんを意識せざるを得ない状態となっている。


国が破たんすれば公務員とて職を失うことになる。


もう、絶対に安全、絶対に確実、などは無い。


国が破たんしても生きていけるようにする。これが今後の課題だと感じた一年でした。