ぼくの試合の観戦は、続いていた。
地方の興行への観戦も積極的に続いていた。
だからだろうか、2010年頃、段々と地下アイドル化していく業界を目の当たりにしていた。
そんな中、業界と積極的に交わろうとしない、その方の姿勢に疑問を持っていた。
「どうして衰退していく業界と距離を取っているのだろう?」かと。
そんな中、ぼくに出資してくださるという方が現れた。
同時に、協力してくれるという会社を経営するファン仲間もいた。
ぼくは、興行を開き、その方に、現在の業界の様子を見てもらおうと思った。
それは、大きな賭けでもあった。
その方の”心”が動くかどうかの。
とりあえず、協力してくださる団体様を探すところから始まった。
地方で興行を堅実に行っている団体さんと、関東圏を中心に若手が多く所属する団体さんが、OKをくれた。
中には、社内会議を開いて検討してくださる位、協力的な団体様もあった。
そして、興行の日時と参戦予定選手が決まった。
2011年5月3日
決定事項をいち早く知らせようと、ぼくはその方に手紙を書いた。
会場は、4,500人位が入る会場で、参戦予定選手は、20人位いらっしゃっただろうか。参戦予定の選手の名前も全部の情報を伝えた。
ぼくは、その方に、現在(当時)の業界の様子を生で観て感じてもらいたい一心だった。
しかし、その興行が行われることは無かった。
2011年3月11日、日本では大変な事が起こってしまった。
その影響もあってか、その伝えたい気持ちは、形として実現することは無かった。