「どこから来たの?山の人と犬よね?」(略)

 

その村は、南に海を見下ろす低い山のすそ野にあった。
最初にここに定住した人々は、すそ野を平らにならして広場をつくり村の中心とした。東へなだらかな坂をくだってゆけば川があり、人々は海と川、両方の幸にめぐまれて暮らしていた。
とくに夏を中心に、春から秋までは海での漁がさかんだった。男たちは丸木舟を駆って海へのりだし、ブリやサバ、カレイやサメなど、さまざまな魚をそれぞれにあった漁具と熟練の技でつかまえた。
キセキは食べなれない海の魚はちょっと苦手だったが、なれるしかなかった。
シカやイノシシの肉が恋しかったが、この村では獣を狩るとしても、ウサギやモモンガ、タヌキなど、ほとんどが小動物だった。犬たちと獲物の痕跡を追って山々に分け入り、猛々しい獣と対峙して射とめる狩りがなつかしかった。(略)

 

竪穴住居は代々使えるほど頑丈につくられていたし、広場のすみには食料をたくわえるための貯蔵穴も掘ってあった。北の林の中には墓地まであった。すべてが長い年月をかけ、住人たちが協力してつくりあげた統制のとれたかたちをしていた。
草木の利用の仕方も(略)広場の周囲には、食糧にも建材にもなるクリやクヌギが不自然に多かった。ほかの木々より大切に世話をされている証拠だ。草の種子は食べつくさず、一部を翌年の収穫のため土にもどしていた。(略)
日々の仕事は多岐にわたっていた。クリやクヌギ、ナラなど選択的に育てたい木々のために、雑木を伐採したり、下草を刈ったりした。材木を切りだしてかたちを整え、住居の補修もした。土器をつくるための粘土は近くの山すそから掘り出して運んできた。そういう力仕事はもっぱら男がひきうけた。もちろん、石や木、動物の骨や角でさまざまな道具もつくった。
女たちの仕事にもキセキは目を見張った。粘土で土器をかたちづくるのは、もっぱら女たちだった。ひものように練った粘土を積みあげ、ならし、大小さまざまなかたちの器にしてゆく作業は見ていてあきることがなかった。じゅうぶんにかわかした土器をたき火にさらし、徐々に火に近づけ、最後にはおき火に埋めて焼成するのは、男たちがひきうけた。(略)

 

なにより目新しかったのは布だった。(略)

布と言えば織るものだが、じつはそれはあとの時代のことで、ここでは布はムシロのように横糸に縦糸をひっかけて編んだものだ。今では編布(あんぎん)と呼ばれている。
布を編むには膨大な時間がかかったので、女たちはひまさえあれば手を動かしていた。