比叡坂本側の花摘の社は、色々の伝へのあるところだが、里の女たちがここまで登って花を摘み、序にこの祠に奉つたことは、確かである。而も山籠りして花をつむと言ふことは、必しも一つの隠れどころにぢつとして居ることではなく、てんでに思ひ思ひの峰谷を渉つてあるくこともあった、ただの物忌の為ばかりでもないやうだ。女たちの駆けまはる範囲が、野か、山の中に限られて、里つづきの野道・田の畦などを廻らぬところから、伝へなかつたまでであらう。日の伴の様な自由な野行き山行きは、まだ土地が、幾つとも知らぬ郡村に地割りせられぬ以前からの風であつたのである。



■花摘堂跡
https://www5.city.otsu.shiga.jp/kankyou/content.asp?key=0410000000&skey=21

「坂本から比叡山延暦寺の表参道である「本坂」(ほんさか)途中にあります。かって比叡山延暦寺は修行の地として神聖視され、女性の入山を認めませんでしたが、年に一度ここにあった社への参拝ができました。人々は、この地に花を捧げました。これが花摘社の名前の由来です。」