「でも、正直言ってこのところ、僕にはよく天の声が聞こえない。 天どころか家族の声も、いやもしかするとおのれの声も聞こえないくらいだ。これまでは目の届くところのことだけ考えていればよかった。なのに、今や海の向こうの世界のことまで心配しなくてはならない。あまりにいっぺんにいろいろなものが押し寄せてきて、世の中が声高すぎる。きなくさくて、嘘くさくて、慌ただしいだけだ。(略)

このところ、本当に自信が持てないのだ。先祖から受け継いだこの土地をこの先ずっと将来も保っていけるのかどうか。集落を守っていけるのかどうか。これまではそんなふうに思ったことなどなかったんだが」

 

珍しく、旦那様の口調が弱々しかったのを覚えております。
葉太郎様が口を開きました。

「いつの時代も混乱はあったし、世界はどこかで繋がっていたけれど、これからは全く違った意味での混乱が起きるだろう。世界はより広く、より狭くなりつつある。どこかで台風が起きれば、風を受けずには済まないのさ―――世界はまさしく一蓮托生になりつつあるんだ。その行き先がどこであれ」

葉太郎様はひょうひょうとした口調で、二階から顔を出して手を振っている光比古さんに手を振り返しました。旦那様は低くため息をつきました。

 

「皮肉なものだね。どこに何があるか分からない昔の方が、我々は幸せだったと思わないか? 今はどこに何があるか分かっているのに、そのことがますます我々を不安にさせ、心配事を増やしている」

「ひとは自分が持っていないもののことは心配しないのさ。自分が手に入れたものを失う事と、よそのひとが自分より先に手に入れるんじゃないかと思うものに対して心配するんだ。今の世界を見ればそれは明らかだろう」
(略)

「いつまでいられるんだ?」

旦那様の問いに、葉太郎様はかすかに首をかしげました。

 

「うーん。みんなをしまい終わって風向きが変わるまでかな――実は僕にもよく分からない。こんなに早くここに帰ってくる予定じゃなかったんだ。でも、戻るべし、会うべし、という徴(しるし)を見たのでね。誰か僕らが会うべき大事なひとがいるはずなんだが」