この八千矛の神、高志の国の沼河比売(ヌナカワヒメ)を婚(よば)はむとして幸行出ます時に、
その沼河比売の家に到りて歌よみしたまひしく、
八千矛の 神の命は、
八島国 妻纏(ま)きかねて、
遠々し、高志の国に
賢(さか)し女(め)を ありと聞かして、
麗(くは)し女(め)を ありと聞かして、
さ婚(よば)ひに あり立たし
婚ひに あり通はせ、
大刀が緒も いまだ解かずて、
襲(おすひ)をも いまだ解かね、
嬢子(をとめ)の 寝(な)すや板戸を
押そぶらひ 吾が立たせれば、
引こづらひ 吾がたたせれば、
青山に 鵺(ぬえ)は泣きぬ。
さ野つ鳥 雉子(きぎし)は響(とよ)む。
庭つ鳥 鶏(かけ)は鳴く。
うれたくも 鳴くなる鳥か。
この鳥も うち止めこせね。
いしたふや 天馳使(あまはせづかひ)、
事の 語りごとも こをば。
ここに沼河比売、いまだ戸を開かずて内より歌よみしたまひしく、
八千矛の 神の命。
ぬえくさの 女にしあれば、
吾が心、浦渚(うらす)の鳥ぞ。
今こそは 吾鳥(わどり)にあらめ。
後は 汝鳥(などり)にあらむを、
命は な死せたまひそ。
いしたふや 天馳使、
事の 語りごとも こをば。
青山に 日が隠らば
ぬば玉の 夜は出でなむ。
朝日の 咲み栄え来て、
𣑥綱(たくづの) 白き腕(なだむき)
沫雪の わかやる胸を
そ叩き 叩きまながり
真玉手 玉手差し纏き
股長(ももなが)に 寝(い)は宿(な)さむを。
あやに な恋ひきこし。
八千矛の 神の命。
事の語りごとも こをば。
かれその夜は合はさずして、明日の夜御合わしたまひき。