(下記は復刊における寄稿の抜粋)
「都筑の丘を愛して」 鶴田 栄太郎 氏
歴史というものは博物館や図書館の中のものではない。又古本や古文書に許り頼っていたのでは駄目だ。此の事はいわば歴史の概念化に過ぎない。
誰か都筑に史蹟がないというぞ、それは書いた史蹟がないという謂であって、我が戸倉氏はそこに無意味な劣等感を感じずに古い町や村に残っている埋まっている独自な伝説や、多くの人が見過ごしている些物(実は巨大)な物件と文字通り 取り組んで居られるのに唯々頭が下がるばかりである。華やかな歴史ではない。幾多の苦渋を克服して山野を開拓し、文化を築いて黙々と死んでいった無名の先人の史話や語り草、足跡こそ尊いものでなければならぬ。文献はなくとも郷土史は立派に書ける。歴史は足で書くものだと今回の氏の著述によってしみじみとかんがえさせられた。
歴史は人生の通路である。先人が理想を持ち寄ってよい社会を建設しようと願った行動がすなわち歴史であることに相違はない。氏は眠っている都筑の丘に野に歴史に忠実に歩いて幾度か呼びかけた。手近に具象的な歴史の姿を見つけて、その中で生活をしたとしたらどの位生きがいのある人生となるだろう。歴史は新しい希望と判断と生き方を教えてくれるのだから。