友達と作ったビーズブローチが完成しました!上が私の。
こんにちは
ご訪問いただきましてありがとうございます。
先日次女が大学を卒業しまして、学費という地獄から抜け出せたわけですが。
今から思えば、ああすればよかった、こうすればよかった、がたくさんありまする。
もう一度やりなおせるとしたら、どこまで遡りたいか。。。と考えてみましたが、お腹の中から???笑
娘、ふたりとも幼稚園から大学まで同じ道を進んで、結果、最終学歴に親も子も満足しているので、やりなおす必要はないのですが。。。
一度も塾にも行かなかったし、受験すらしなかったしね。(大学は学校推薦です)
ワタシ的にはあまりにお金をかけすぎた。。。いや、もっとかけている方もたくさんいらっしゃるのはわかっていますが。
ここまでやらないといけなかったのかな。。。
そこで、ちょっと振り返って、思いついたことをランダムですがお話させていただきます。
主にアメリカ帰りの子供の進路と日本のインターナショナルスクールの様子について、古い話なので、今とは違うことも多いとご了承ください。
娘二人はアメリカ生まれで、帰国時長女は6歳、次女は2歳でした。
駐在員の方で、お子さんが小学生の方は皆さん学校のことはとても悩んでいましたね。
アメリカにいる間は、みんないつか日本に帰っても困らないように、週末は日本語を維持するため補習校(日本人学校)に通っていました。
当時1ヶ月4万円くらいかかったと思います。高い!
うちも長女は1年生の間楽しんで行っていました。
日本の行事や歌を学んだり、運動会など、日本に帰っても浦島太郎にならないための補習校です。(駐在員は会社から学費が出ていることが多いですね。)
勉強の面では、日本の一週間分を土曜日の一日で教えるので、かなり厳しく、宿題も多いです。
平日はアメリカの現地校に通って、そちらの勉強や部活との両立も大変そうでした。
帰国した場合、選択肢は3パターン
・公立の学校に通う
・帰国子女枠で私立に編入する
・インターナショナルスクールに行く
歳が上になればなるほど、日本語があやしくなるので、帰ってからのいじめを心配する人や、中学受験、高校受験についていけるか、みんな悩んでいました。
駐在員はアメリカにいる間は各種の手当があって、かなり経済的に余裕がある場合がほとんどですが、帰国したら普通のお給料だけになるので、学費の問題もあります。
私のまわりでは、男子は公立を選ぶ親が多かった印象です。
女子は私立編入が多いですね。ただし、募集も少ないので、けっこう狭い門だったみたい。
当時の我が家がこだわったポイントは
・子供をバイリンガルにすること(夫がインター出なので、強く主張)
・中学、高校受験をさせないこと
私自身が中学受験で高校まで私立のカトリック系進学校で、それはそれは辛い学生生活を送ったので(女子校だし)同じ思いはさせたくなかったのです。
まあ、そうするとインターしかないわけで、入ったらなんとかなるだろうと軽い気持ちでふたりを放り込んだのでした。
学費、一人1年で約200万円。。。地獄。。。
インター、マジ別の星です。
通っているのは駐在の外国人、中華街系のアジア人、超々お金持ちの日本人で構成されています。
当時、お金があっても日本人は簡単に入学ができず、
・外国籍がある日本人
・2年以上の海外生活がある日本人
・親が関係者(卒業生もかな?)
・他のインターに通っていた日本人
という条件がありました。(間違っているところがあったらごめんなさい。昔話です。)
うちは該当したので、すんなり入学できましたが、この、超々お金持ちの日本人の方々の努力には本当に頭が下がりました。
東京の比較的入りやすいインターに(学費が同じくらい高い)1.2年通ってから公式(?)インターに転入するのです。(芸能人のお子さんもこのパターン多し)
ママ達のほとんどは専業主婦で、クラスでサラリーマン家庭は2人くらいでした。
あ、国際結婚で旦那様が外国人で日本に駐在、奥様は日本人、という家庭もけっこういましたね。
子供たちは学校以外ではスイミングやお絵描き、そろばん、音楽系、ダンス系の習い事にも通っていて、ママたちは日中はホテルランチやお茶会、自分の習い事をして、あとは送り迎えで忙しかったです。
コーヒーモーニングと言って、朝、子供を送ったあとにデニーズとかに集まってお茶したり。ひとりでも外国人がいると、会話は英語率高しでした。
国際結婚ママって、ちょっと不思議な人が多くて、みんな気さくで良い方ばかりなのですが、なんていうんだろう。。。ちょっと外国人のふりをしている(ごめんなさい。ごめんなさい。)感じの人もいて、純日本人の私もとまどうことあったなぁ。
誕生日会はクルーズ貸し切り、カラオケ貸し切り、ボーリング場貸し切り、ホテルの一室、などで大きく開催されて、プレゼントを用意する方も大変。
招待した方もお土産が大変。
インターナショナルデイという、民族衣装を着て登校する日や、クリスマスバザー、遠足の付き添い、コンサートなど、行事も多く、働いているママにはとても無理な状況です。
教育内容はまあ、充実していたのではないでしょうか。
小さい学年から、研究、発表、話し合い、などをもとに自分で考える、みんなで協力して成し遂げる、ということが重要視されていたように思います。
バイリンガルにするには9歳まで英語環境にいないとダメだと言われます。
我が家は前のブログでもお話したように、家のローンもあるし、日本に骨をうずめることにしたので、子供たちもタイミングをみて日本の学校に移すことにしました。
インターは5年生で小学校が卒業になりますので、長女が5年生を終わるタイミングで二人を比較的偏差値低めののんびりした私立小学校に転入させることができました。
長女はほぼバイリンガルで育ちましたが、次女は1年生のときの転校だったので、英語はできるけど話すのはちょっと苦手です。
それは姉と比べてコンプレックスになっているみたい。。。すまない気持ちです。
公立に入れないで私立に入れたのは、受験させないで大学まで行かすことが1番の目的でしたが、インターの近くに住んでいたので、近くの公立に行きながらインターの元同級生に会うのは気まずいかな、と思ってしまったからです。
結果、以後ふたりとも高校卒業するまで、一時間も電車に乗って登校するはめになってしまいましたが。。。
もし、インターを卒業しても、学費が一年で500万円を超える海外の大学には行かせられないし、日本の国際学科がある外国人受け入れ可の大学に行くしかなかったから、まあ転校は正しい選択だったと思います。
でも、子供の頃の数々の習い事は全て本当に無駄でした!!!
やってよかったのは公文とスイミングだけだったと思います。
ここまで読んでいただいてありがとうございました!
急に暖かくなって、季節の変わり目は忙しい!