222日間で世界一周!旅日記90’s
90年代のバックパッカー旅日記を公開。
アナログな旅は楽しかった!
日記File No.001
息子くんが謎の日記を発見してしまう
時は2022年、コロナでテレワークの日々が続いてうちでぶらぶらしてたある日、ボクんちのタンスの奥から、謎の古ぼけた日記がポロっと出てきた。
第一発見者は、ボクの2番目の息子くん。ちなみにだけど、ボクには3人も息子がいる。ムスコだから全員オトコだ。しかも、この2番目の彼が生まれたのはブラジル🇧🇷のサンパウロという街。かつてボクはこの街へ会社から島流しにあい、5年間家族で住み駐在員としての生活をしていた事がある。
正確には、島から大陸に飛ばされた状態なので、''何''流しと言うのだろうか?大陸流し?
2人目の子供は、地球の裏側サンパウロで生まれたんです。いや、正解には妻に産んで頂いた、はい、まさに神様から宝物を授かったんです。地球の裏側で。なので息子はブラジル国籍も持っている。
それとこれとは今回の旅日記には、関係ないが一応報告しておきたいのでそうしとく。
息子くん
父
ボクは息子くんの前で少し動揺をしてしまった。
ボクは、その辺にいるしがないサラリーマンで、
特技は存在を消すこと。
こんなボクが20代のころ、まさかバックパッカーという放浪の旅人をやっていて、しかも世界一周の旅などをワイルドにしていた、なんて事実は家族は知らない。敢えて積極的に伝えてなどいないし、見た目からも、どう見ても、ワイルドだろう?という風貌はしてないし、決してそうは見えないと信じている。
ボクみたいな、姿を隠して生きている、元パッカー世代は結構社会にいるとも思っている。
息子くんの前で必死に平静を装うとしているボクがいた。
実は、これには訳があるんです。
青年海外協力隊の合格通知が届く…でも 辞退してしまった!
27歳の時、海外での活躍を夢みて大学をでて、ある商社の駐在員としてベトナムで汗を流しながら奮闘していた。傍ら、青年海外協力隊にも憧れを持ってせっせとチャレンジしていた頃だった。なんでいきなりベトナムなのか?も、いずれ後述したいと思う。
なんと。協力隊の2次試験に通過し、合格通知が届いたのだった。協力隊員となって世界のために活躍貢献するのは結構難しい。
試験は2回もあるし、面接もガチであるし、健康診断がこれまた厳しいことになっていた。
合格通知の前で、めちゃくちゃうれしくて、ガッツポーズをとっていたボク。でも悩みに悩んだ結果、協力隊は辞退することとした。
そして、なんと世界一周放浪の旅に出ようと決心したのだった。その時の、記録を綴った日記がこのポロッと出てきた謎の日記なんです!😅
20世紀の90年代、スマホもまだ無い時代の完全アナログの旅の記録。e-mailがちらほら出始めた頃。当時の旅人たちは、何を思い、どんな旅をしていたんでしょう?今思えば、不自由な中での手探りな旅は、先に何が起こるか誰が待っているのかワクワクドキドキの旅で本当に面白かった。
筋書きのないドラマの主人公に
みんななれた時代
ボクは庭にでて、日記を眺めながら、過去にタイムスリップしたのだった、、、。
これから始まるボクの旅日記。
何もなかった頃の手探りの世界放浪のたびの始まりです。