ネット上の情報をそのまま鵜呑みにしていては、真実は見えてこない | 三輪厳島道-深見東州とワールドメイト-ワールドメイト会員のブログ

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ワールドメイト現会員のブログです。ワールドメイト現会員が書く、ワールドメイトと深見東州先生(=半田晴久氏) の活動について、お話しするブログです。ワールドメイトは、福祉などの公益活動が盛んな宗教法人です。

活字になっているものを見ると、さももっともらしく感じてしまって、しっかりした根拠や証拠がなくても、そのまますぐに信じてしまう人は多いのではないでしょうか。

アエラ、2012年10月1日号に面白い記事がありました。

「『ウィキ馬鹿』になるな」という記事から、ちょっとお借りして見てみたいと思います。


引用ここから
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マーケティング関連会社に勤務する30代の男性が、部下の20代男性社員を伴って取引先企業と打ち合わせをしていたときのこと。部下が差し出したプリントは、インターネット上の百科事典サイト「Wikipedia(ウィキペディア)」の記事をそのまま印刷したものだった。

気心の知れた間柄ならまだしも、取引先に渡す資料がウィキペディアの記事は「ありえない」。


「ウィキの内容は、いわば伝聞のようなもの。それをそのままクライアントには渡さないでくれって、心の中でさけびました。打ち合わせ後に当の本人に指摘しても、『何でダメなんですか?』みたいな感じで」


毎日一本ペースでプレスリリースを作成する。骨組み程度ならウィキペディアに頼ることは多い。ただ、「出典=ウィキ」では相手を納得させられない、と自覚を促したが、…

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引用ここまで


ということで、ウィキペディアをそのまま拠り所にして、何も疑問を感じていないみたいですね。こういう人がどうも多いようなのです。続きを読んでいくと


引用ここから
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「ウィキには、そう書いてありました」  とその情報を100%信じて強気に断言する人も増えた。ウィキペディアだけの知識で自信たっぷりの「ウィキ馬鹿」だ。
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ここまで


と、いう具合に、そのまま信じているわけですね。


しかし、実際に使ってみると、どうもウィキペディアの内容を額面通りに受け取るわけにはいかないようです。

例えば、これは私もしばしば実感していることなのですが、日本語版と英語版では、情報の量も、記されている情報の中身そのものも、全然違う「別物」なのです。翻訳したものが日本語版に掲載されているわけではないのです(書き込む人間が英語が出来ないのだとわかります)。

同じ記事の続きに、以下のようにあります。


引用ここから
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輸入食品会社に勤める30代の女性は、香辛料や調味料の原料を把握するのにウィキペディアを多用している。国内で知られていない食材の場合、日本語版では情報が少ないため、同時に英語版も確認する。

「英語版の方が情報量が多い項目が多い。ざっくりと全体を知るにはウィキで十分です」
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ここまで


実は、ざっくりと全体を知るためには、英語版を読まなければならない場合が、大変多いのです(日本語版はただのオタクの書き込みみたいなのも結構ありますよね)。

で、ウィキペディアの何が問題なのかというと、結局こういうことなのです。


引用ここから
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自主性と善意の限界

最大の特徴は誰でも自由に書き込める点だ。新たな項目の記事の執筆や既存の記事の編集が簡単にできる。ただ、自分自身に関する記事の執筆や編集は、記事の中立性を保つため、ルールとして禁じられている。宣伝行為や独自研究の発表の場とて使うことも禁止だ。

ただ、情報の更新を人々の自主性と善意に頼っている半面、その内容が間違っていても誰の責任も追及できない。記述の誤りが指摘されることもしばしばだ。……
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ここまで


さらには


ここから
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「ただ、ウィキだけで判断してしまうのは、情報量として危うい。ウィキはあくまで情報ソースの一つ。複数の情報を集めて照合しようとしないことの方が、心配」 

ウィキペディアの信頼度が高まれば、手間をかけて他の資料を探そうとする行為自体が減る。一つの情報だけで判断するようになり、精査をしなくなる。それはウィキペディア以外の情報についても同様に危険ではないか。

情報の「ウラ」を取るのは時間がかかる。だが、いくつもの情報源に当たることこそが個人の情報処理能力や調査能力を高め、多角的にものごとを見る姿勢を養う。

「情報源一つで納得してしまうのは、自己判断力が落ちている証し。SNSなどでデマの拡散に加担しやすい。それに口がうまいだけの政治家や役人に騙されやすくもなります。こうした傾向は、ある意味、ポピュリズムの走りに近い」 
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ここまで


ということで、「ウィキ馬鹿」はこのポピュリズムの走りだといえなくもないのです。

実際、ネット上の記事を一つか二つ見ただけで、疑問点がすべて解決するほど世の中単純なものではないと思うのですが。


とりわけ、特有の偏見が日常茶飯事で、歪曲された見方について多くの人が何ら疑問を持たない新興宗教に関しては、一つか二つ、自分がすでに抱えている先入観に合致するサイトを見て納得してしまう人が多いのではないかと思います。


世の中、より真実に近いことを知るのには、それなりの時間と手間がかかるのが本当だし、そうした材料を前にして自分できちんと考えようとすると、さらに労力が必要とされます。


わかりやすいもの・わかりやすいことを提示されて、すぐにそれに飛びついてしまって思考停止してしまうというのは、実は危ないことではないでしょうか。

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