引き渡しの後、できる限りの荷物をとりあえず新居に運ぼうということで、その前夜は荷造りに追われました。

先週から荷造りを始めたのですが、体に良くないですな。

とりあえず飲みながらやるので、酒の量が増えるのと、どこで止めたらいいのかわからないので寝不足になること。

進むにつれてどんどん酔っぱらっていくので、とにかく何から何まで捨ててしまってるような気がします。

「もう明日にしようよう。」なんてビールを飲みながらのんびりとホラー映画を観てる旦那を階下に放っておき、とりあえずロフトから埃まみれになりながら片付けました。

 

当日の朝は張り切って早起きし、前日までに詰めた段ボール箱と、もういらないゴルフバッグなんかを2台の車に詰め込んで、新居に向かいました。

朝10時に新居に着くと、既に導入された全ての設備関係の方々が大勢で待ち構えていて、早速全ての設備の取り扱い説明を個別に丁寧にしてくれます。

まずはKitchen Houseから、IHの使い方、水栓の使い方、収納引き出しの使い方、キッチンのメンテナンスの仕方の説明を受け、そのあとはPanasonicから、レンジフードの使い方、そして設備屋さんから、暖房の使い方、水道の水抜きの仕方、外の蛇口の使い方、電気工事からはブレーカーの注意点、そして建築士から換気システムの使い方、メンテナンスの仕方、Lixilからは風呂の使い方、メンテナンスの仕方、そしてトイレの使い方、それのメンテナンスの仕方、最後は北ガスから、風呂沸かし器の使い方、暖房の使い方、それから都市ガスと電気の契約内容と、それの説明。

全ての人たちが、「この度は、ご新築おめでとうございます。〇〇の△△と申します。それでは、私からは□□についてご説明させていただきます。」と丁寧なお祝いの挨拶と自己紹介から始まり、こちらは、なんといっていいか、「はあ、ありがとうございます。」なんて照れっぱなしでした。

そう、この感じ。

この感じは、どこか、入学式、または卒業式に似てる。

「みなさん、この度は、ご入学おめでとうございます。私は、皆さんの担任を務めさせていただきます、△△と申します。」的な。

とにかく、大勢の人がおめでとうございます、おめでとうございます、と連呼するので、自分は何がそんなにめでたいのかよくわからないけれど、でもなんかその場の雰囲気が、とにかくめでたい雰囲気に包まれて、紅白幕が出てきてこれからまんじゅうでも配るんじゃないのかっていうくらい、とにかく、これ以上ないくらいのめでたい雰囲気の中で盛大にお祝いされました。

特に、Kitchen Houseのお姉さんと、Panasonicの方は遠方からわざわざ来ていただいて申し訳ない気持ちでいっぱいで、特にPanasonicなんて家はレンジフードしかなく、しかも10年ファン掃除がいらないほっとくリーンフードを採用してしまった為、「10年間簡単なメンテナンスだけで、10年後のファン掃除に関しては今説明しても忘れてしまうでしょうから、また改めてご質問頂けますでしょうか」的な1分スピーチで終了し、「この人、何のために来てくれたんだろう…。」と申し訳なく、もうちょっとPanasonic採用してあげればよかったくらいに思いました。

 

全ての設備関係の取り扱い説明が終わると、次に「鍵変更のセレモニー」に移ります。

営業、建築士、棟梁とみんなで外に出て、玄関ドアの鍵を工事キーから本物の鍵に変えるのです。

これまでは玄関ドアは工事キーと言われる、建築会社や棟梁、設備関係者なんかがみんな開けられる統一キーを使っていました。

「さて、この鍵を変更して頂くと、私たちはもう入ることのできない、鍵を持っているけんたろうさんと旦那さんしかこのドアを開けることができなくなります!」と無理矢理盛り上げようとするのですが、これに関しては全く感動すらせず、「ああ、そうですか。」という感じでがちゃりと鍵を変更しました。

これに感動する人なんているのかしら…。

営業がぱしゃぱしゃと写真を撮り、それを後ろから見ると、旦那がなんかへっぴり腰で玄関ドアの鍵を回しながらこちらを照れ笑いで見つめているふざけた泥棒みたいな画像が携帯に写っていて、自分だったらこんな写真撮られたら恥ずかしくて恥ずかしくて、死ぬ前に思い出しそうだな、と思いました。

 

さて、鍵を変更すると、玄関からリビングに入る引き戸がいつのまにか閉められていて、嫌な予感がします。

「さあ、けんたろうさんと旦那さんはリビングに入って!」と言われ、戸を開けると、建築会社の社長、営業全員、設備屋さん、電気屋さん、北ガスの方がみんなで待機していて、拍手で迎えられ、あとから入ってきた建築士、営業、棟梁からお祝いの花やらを受け取りました。

うわ、やばい、これは泣くわ、と思ったのですが、こんな大勢の前でいい歳のおっさんが泣いたら恥ずかしい、となんとか涙をこらえました。

そして、その場にいるひとりひとりからお祝いのスピーチを頂きます。

とにかく、自分は、涙をこらえるのに一生懸命で、なんとか、なんとか、早くこの感動的なシチュエーションが終わらないかと必死にそのことばかりを考えていました。

そして、棟梁、そして、建築士、そして最後に営業からのお祝いの言葉をもらいました。

 

家を建てよう、と思ってから、ちょうど一年です。

こんなにも楽しくて、こんなにも打ち込めて、こんなにも真剣で、こんなにも凝縮して、こんなにもあっという間で、こんなにも素敵な一年間は、後にも、先にも、ないような気がします。

家が関わったことで、自分と旦那の生活は変わりました。

夕食のメニューを考えながら仕事を終え、スーパーで買い物し、長風呂に入りながらテレビを見て、ホラー映画を観ながら夕食をつまみにビールを飲む。

そんな毎日に、「家」が深く突き刺さったことで、自分と旦那の会話には、常に家がありました。

今日営業からメールが来てねー、今日建築士から電話が来てねー、今日棟梁と話してきたんだけどねー。

整理整頓されていたリビングには、ものすごい量の図面、見積もり、カタログ、サンプルが山積みになり、ホラー映画を観る代わりに図面やらカタログを見ながら相談するようになり、休みのドライブデートの代わりにオープンハウスに行くようになり、「家」は新築を指す様になり、今まで「家」だった場所は「アパート」に変わりました。

喧嘩もしました。

なんでもけんたろうが決めちゃう、俺が決められたところなんてない、どうせけんたろうの家なんだろう、家なんか最初から建てるべきじゃなかった。

そんな中でお互いに、色々なことを妥協したり、提案したり、相談したりしながら、ふたりで一年間、真っすぐに家に向かってきました。

そして、その家の向こう側には、常に、建築士、営業、棟梁の3人がいました。

家づくりは、人間関係であったな、と思うのです。

建築会社が違ったら、建築士が違ったら、営業が違ったら、棟梁が違ったら、今の家は存在しませんでした。

生真面目な建築士と、抜けてるけど憎めない営業、ちょっとやんちゃで大胆な棟梁。

3人と、自分と、旦那のバランスがうまく噛み合って、ああじゃない、こうじゃない、あれはいい、これはいいと言ってるうちに、するすると形に成っていったのが、我が家だという気がします。

楽しく、幸せに包まれながら、笑いながら家をつくってきました。

自分は、どうしたらいいんでしょうか。

ぎゅっと、当たり前に5人いた、そういう家を、今日から、自分と旦那ふたりだけで守っていかなきゃいけない。

独り立ちしなければならない。

もっと、ずっと、あれはいい、これはダメとか言えている日が続いていけばいいのに、でも、家はもう、次の段階を待っていて、それは多分自分と旦那がふたりで作っていかなきゃいけないところに来ている。

大丈夫だろうか。

できるだろうか。

二人で、この家を漕いで先に進めるだろうか。

今まで起こったこと全部を、懐かしく、楽しく振り返りながら、3人を引き留めたい気持ちに駆られながら、行かないでと不安を吐き出すのをこらえながら、それぞれのお祝いの言葉を頂きました。

 

「それでは最後にお二人からお言葉を頂けますでしょうか。」と最も恐れていた言葉が降り、「いやです!」とは場の雰囲気からは言えず、逃げ場を失った人見知りの旦那は、たどたどしく照れながら挨拶をして、そして、自分も、喋ってるうちに泣きそうだったので、なんとか涙が出る前にスピーチをばつりと切りました。

言いたいことの半分くらいをへらへらと茶化しながら泣かないように、泣かないようにとそればかりを気にしていました。

旦那は「うわあ、泣くだろうな、泣くだろうな」と隣ばかり気になっていたと後から言っていました。

 

さて、そうして人生最も幸せな日からスタートした我が家ですが、結論からいうと全然二人立ちしていません。

とりあえず車に乗せた荷物を全て家に運び込み、アパートに帰り、荷造りし、とりあえずトイレットペーパーやら食洗器用の洗剤やら、洗濯洗剤やら生活必要最小限のものを家に運び込み、今日も朝から家具やら荷造りした段ボールやらを運び、とりあえず食器類第一弾を食洗器に入れ、家具屋に必要最低限なものの買い出し第一弾に出向いたのですが、日曜なのでものすごい人混みで、疲れ果てた旦那と言い争いになりました。

木曜のソファー搬入は自分が仕事で家にいられないので営業に頼り、土曜の家具の移動は棟梁に頼り、家具屋で寸法がわからないと建築士にメールしています。

二日前のセレモニーは、決意はなんだったのか、全然変わってないじゃないかとも思うのですが、とりあえずこんな感じでこれからも家は色んな人に支えられて行くのかなあと思ったりもしています。

ちなみに、文句をたらたらと言いながらも頑張ってくれた優しい旦那のおかげで、引っ越しは結構早く進み、今週の土曜には、生活を新居に移せそうです。

先週、オープンハウスが無事終わりました。

わざわざ足を運んで下さった皆様、本当にありがとうございました。

かなり振り切った家だったので、好き嫌いも別れたみたいですが、ワンルームしかない戸建てにたくさんの方々が来てくださったみたいで嬉しい限りです。

小さい町なので、オープンハウスは「男性の一人暮らし」という設定で説明が行われたんですが、どうもやっぱり一人で戸建てを建てるという設定に納得がいかない人たちが多かったらしく、首を捻ってたと建築会社が笑いながら言っていました。

そうね、自分も一人だったら家を建てなかっただろうし、もしも本当に独身なのにあんな家を建てる人がいたら、「どんだけ金余ってんのよ!?」って思うと思うので、やっぱりそれが自然な反応だったのかな、と思います。

ゲイ夫婦がなかよく二人で暮らす家、と正直に伝えることができたら、その場の人たちも多分すとんと納得できたんでしょうね。

自分はオープンハウスの初日朝から、宣言通り札幌に出発し、友人たちとPerfumeのライブを二日間連続で楽しみ、踊り狂い、頭と体がおかしくなるくらいに酒をあおり、そしてその後二日間みっちり仕事させられて地元に戻ってきたのですが、家に行ってみると、一番最後の修復工事がひっそりと行われていて、オープンハウスに展示されていた建築会社の家具も装飾も全て取り払われ、全ての喧騒は嘘だったのかのように静かに、静かに、家はそこにありました。

うまく言えないんですが、ああ、これで、本当に全部終わったんだな、と。

もう業者が入ったり、自分のいない間に何かが取り付けられたり、工程が進んだり、建築会社の他のお客さんの案内が行われたり、そういうのが全部終わって、それはただの普通の家として、自分と旦那だけの所有物に変わったんだな、と。

おかえり、というのは家のほうなのに、なんとなく自分が家に、おかえり、という声を掛けたい気がして、少し不思議な気持ちになりました。

 

一昨日は、これまで火災保険は建築会社が掛けていたものだったので、銀行に保険会社の人と建築会社の営業に来てもらい、そこで保険契約を結びました。

知らなかったのですが、一般の火災保険は地震被害は対象外になるので、地震保険は別契約になるのですが、やっぱりこれは心配だったので、ケチらずしっかりと掛けておきました。

北海道でも今年は大きな地震があり、被災地ではまだ復興の見通しが立たず、札幌清田での液状化被害や被災地の映像が毎日道内ニュースが流れる中で、「どうしますか?」と言われて、「いやあ、北海道は地震は起こらないから大丈夫です!」と言い切る人がいるなら、顔が見てみたいものです。

もう、多分、大丈夫なんていう場所は、この世のどこにもないような気がします。

契約を結んだあと、営業から渡されたのは、「請求書」。

あーあ、最後だな、という気がします。

今まで建築会社から受け取ってきたのは、当たり前ですが全て「見積もり」で、これが最初で最後の「請求書」。

今まで建ててきた家の正確な値段を、一番最後に知るなんて、家づくりって不思議ですね。

これを片付けて、全て精算です。

 

ところで、自分の通っていたアメリカの大学は簿記が必須科目でした。

4年間で結構な数の簿記のクラスがあって、徹底的に叩き込まれます。

ところが、自分が大学1年生、渡米して英語もわからなかった一学期目一番最初に割り振られたのが簿記のクラスでした。

英語のわからない生徒の為に、実は最初のイントロダクションクラスだけは、「インターナショナルクラス」の設定があって、留学生用に、もう少しわかりやすく、英語を簡単に丁寧に教えてくれるコースもあったと思うのですが、何故か自分は自意識過剰だったのか、普通のクラスを選択して、一般のアメリカ人に混ざって簿記を取ったのでした。

日本の田舎の公立高校を卒業したばかりの自分は、「アカウンティング」というクラスが日本語の「簿記」だということも知らず、大体日本の「簿記」とは一体何なのかもわからず、真っ白なままそのクラスに立ち向かい、見事落第しそうになったのでした。

もう教授が言ってることも、生徒が言ってることも、宿題の内容も、テストの内容も、全くちんぷんかんぷん。

ただただ、その場に毎日通い、訳の分からない単語の並ぶテキストブックを途方に暮れて眺め続けたのでした。

今考えるとひどい成績だったのに、よく単位が取れたものだな、と感心するのですが、その経験から、自分には、ひどい「簿記」に対しての苦手意識があるのです。

 

昨日、予め建築費としてよけておいた通帳の資金、そして建築会社や外構工事会社、オーディオショップやベッドなんかの、振り込みで現金を支払った経費との照らし合わせをし、結局足りるのか、足りないのか、今までの計算は合っていたのか、間違っていたのか、多かったのか、少なかったのかを洗いなおしたのですが、全然キャッシュフローを追いかけられないのです。

地鎮祭の時、自分が神主謝礼金を、通帳から降ろさずに財布から出したのは、資金なの?支出なの?

建築会社の申込金をボーナスから支払ったのは?

振り込み手数料ってどうするの?

途中の中間入金は、通帳から支払ったけど、請求書からも差し引かれてるのは、これは+なの?-なの?

両方に同じ金額を+すると差し引きは当たり前に変わらないから…。

その度に銀行のお姉さんに泣きの電話を入れて、「もうわかんない…。」と告げ、優しく、「だから、キャッシュフローは請求書とプラスマイナスが逆になるでしょ?」とか、もうあの時の大学一年生の時に、なんとなく聞いたようなことを教えられ、それに更に混乱し、やっぱり簿記は大嫌いだと、本当に心から認識したのです。

結局結論を導くのに、3時間。

とほほ。こりゃああの時いっそ落第した方がよかったんじゃないでしょうか。

まあ、結局は本当にちょこっとだけ予算オーバーだったのですが、最後値段が上がったりして、ちょっと足りなくなるのは覚悟してたので、なんとか合格点で終わらすことができそうで安心しています。

 

さて、関係各社「請求書」も全て出そろい、全ての支払金額が確定し、お金の面も片付き、いよいよ、明日、すっきりした気分で、家の引き渡しです。

とうとう、完全に、あの家は自分と旦那のものになります。

とうとう、明日から、家と、自分と旦那は、三人歩きを始めます。

ぜーんぶ、自分たちのものです。

なんか、責任もどっかーんと明日から増えそうで不安もありますが、待ちに待ったこの日です。

感動で泣いちゃうかも、とか思ったりしますが、とりあえずふたりの人生記念すべき日を向かえることが無事できるのが、今はとても嬉しいです。

幸せになってきます。

明日&明後日はオープンハウスです。

広告に載る家のタイトルは「industrial one room」になりました。

こっぱずかしいですが、これは自分と建築士が決めたタイトルです。

建築会社の前回のオープンハウスの家が、「灯~tomoshibi~」というとんでもなくダサいタイトルだったので、それだけは嫌だと思い、通常は建築会社が一方的に決めるタイトルの決定に勝手に参加させてもらいました。

とにかく、広告なので、「灯~tomoshibi~」みたいに抽象的なわけのわからない感じじゃなく、直接的に一言でこの家の一番の推しを表すと何なのかということを話合ったのですが、「85インチのテレビのある家」とか、「おしゃれキッチンのある家」とかだと別に他の家でもありそうな感じだし、大体それは建築士の技量ではなく、家電屋やkitchen houseのおかげだし、誰でも買おうと思ったら買えるものなので、どちらかというと、この家にしかない、こだわった間取り自体を推したいという建築士の意向から、「one room」というところが先に決まりました。

リビングと寝室が壁で隔てられていない、天井の繋がったワンルームしかない戸建ては、自分が建築会社を決める前からずっと憧れてた家の形です。

けれど、「One Room」とかだとまたちょっと意味がわからないので、それに形容詞を付けようということになったのですが、どれにしたらいいか迷いに迷い、結局これは皮肉の意味も込めて、「インダストリアル」という言葉をわざと使いました。

ブログでも散々書いてきましたが、自分は「インダストリアル」な家が、嫌いです。

大体、流行ってる「インダストリアル」とか、「ブルックリンスタイル」とか、「西海岸スタイル」の語源や意味がわかりません。

自分のイメージする「インダストリアル」はビンテージアメリカに憧れた日本人がそれを真似て作ったチープな家。

家主がアメリカで生まれたわけでも、暮らしたわけでも、ビンテージの意味すら知らないのに、それを空想で手探りで作り上げた流行りの感じの家。

家主の「インダストリアルな家ってかっこいいよな!」みたいな主張と自己満足の強い家。

とにかく、そうはしたくなくて、家づくりをしている間、ずっと「インダストリアル」に傾かないように心がけていました。

最初から、わざとインダストリアルな家を建てられなさそうな建築会社を選んだし、建築士にも「インダストリアルは嫌いです」と断言し、インダストリアルになってしまいそうになる度に建築士に「それ、インダストリアルっぽいですよ。」と指摘してもらい、軌道修正してもらい、そして、今、自分の思う「インダストリアル」の真逆の家が完成しました。

でも、思うのです。

「インダストリアル」という言葉は家づくりを思い浮かべた時から常に付きまとっていて、ずっと「インダストリアルにならないように」と呪文のように繰り返し、「インダストリアル」を呪い、忌み嫌い、憎み、そうやってインダストリアルに苦しめられながら、家を建ててきました。

そうやって、裏を返せば、ずっと、インダストリアルに囚われていました。

だから、家づくりの間、何度となく口にした大嫌いな「インダストリアル」という言葉を、どーんと家のタイトルに持ってきたのは、自分なりの洒落です。

多分それは家づくりの過程に深く関わってきた自分と旦那と建築士と営業の4人しか知りません。

家には、一切のインダストリアルなものはありません。

いわば、「ノンインダストリアル」です。

その家を訪れて、もし「インダストリアルってやっぱりかっこいいな。」と思ってくれる無知な客がいるならば、「インダストリアル」なんて言葉は最初から意味なんてないのかもしれません。

 

ちなみに、自分が憧れ、常にこうなるようにと意識したのは、12年間お世話になった、ボストンにあるような家です。

さすがにビーコンヒルにあるようなかっこいい煉瓦造りの家は日本では建てられませんでしたが、それでも日本の自分の家にいても、ふとボストンにいるような錯覚ができたらいいな、と思ってこの家を建てました。

ボストンでの12年間は、今も自分の奥深いところにあって、自分を形成する大切な一部です。

お金がなくて、あの頃は現地で住むことができなかった、レンガ造りの家をリノベーションしたモダンな素敵な家。

いつか住みたいと思っていたボストンの家々のイメージを、日本にコピーしたい思いで、この家を建てました。

この家に住みながら、ふとしたことでボストンのことを思い出せたら本当に幸せだと思います。

 

週末、お時間があり、オープンハウスにいらっしゃる方がいたら、この家のタイトルの種明かしはそういう感じです。

インダストリアルがとにかく嫌いな家主が建てた、ボストンの家。

そう思いながら家を見て頂けたら、うれしいです。