さて。
「なにもかわらない。」なんて鬱のように繰り返しながらも、アメリカから帰ってきて変わったこともいくつかあります。
そういうことも含めて、少しずつ近況報告もしていこうと。

自分の中で、一番の劇的変化が、日本人男性しか興味がなくなったっていうこと。
あ、ちょっとちがうか。
でも、このブログっていうのはもちろんアメリカ生活を中心に書き綴っていたので、誕生日にアップルパイを焼いてくれたのも、泊まりに行くと朝パンケーキを焼いてくれたのも、「豚」と罵られながらファックしたのも、みんな白人男性だったのです。
でも、いまは、なんか、彼らは蝋人形みたい。
現実感がなくなったというか。
人間味がなくなったというか。
もちろん、この間映画をみたときは、ブラッドリー・クーパーにファックされたいと心から思ったし、テレビに出てくる素敵な白人俳優さんの股間をじっくり眺めたりしてるんだけど。
でも、以前は頑なに「白人主義」だったのが、この二年で随分崩れたかな、と。

日本人男性は、なんか、泥臭い。生臭い。
いやらしいし、おとこらしい。
体温が生ぬるいし、なんだかごつごつしている。
「むっつり」という表現が、まさにしっくりくるような感じで、性的なところが公共の場であまり見られない。
もちろん、セックスの話をあっけらかんと話したり、照れて話したりしているけれど、そこにセックスアピールが全く感じられない。全然セクシーじゃない。
それなのに、ベッドの中では信じられないくらいいやらしい言葉を言ったり、力ずくで腰を振ったりする。
「あ、イきそう。」と、何事もなかったかのように言い放ったりする。
「舐めて。」と、平気でお願いごとをしたりする。
それらすべての過程は、セクシーではなく、ものすごくいやらしい。
そういうふうに、きちんと公共とベッドでの住み分けができているので、バーにいる男の子の本性がどうしてもみたくて、家に連れて帰って服を剥ぎ取りたい衝動に駆られる。

アメリカ人はものすごくセクシーだった。
普段から、バーで飲んでいるところから、仕事をしているときから、買い物をしたり、料理をしたり、食事をしたり、すべての動作、日常からセクシーだった。
自分でセクシーだと思っていて、それを出し惜しまなかった。
だから、セックスは単調だった。
もう、そういう日常の流れのままでセックスした。
セックスするのが当たり前だった。
その人とのセックスを想像するのは易かった。

日本人は、一緒に食事しただけじゃ、そのひとがどんな風なセックスをするのか想像さえできない。
だから、日本人男性に、ふいに「えっちしよう。」とささやかれると、くらりとしてしまう。
その人が、どんな風に呻くのか、動くのか、抱くのか、全部をみたくて仕方がなくなってしまう。
自分が知っている全てのイケる男の寝室にカメラを取り付けて、盗撮したいくらいに、彼らのセックスは不思議につつまれている。

そういうところが、ものすごくいやらしくて、とりあえず見るのをゆるしてくれるだけの日本人男性をみせてもらって、すっかりはまってしまったという。
なんか、自分と似たような体をしている人間と一緒にベッドに入るのは、ものすごく新鮮で、素敵。

そんなこんなで、日本人の彼氏も今はいたりするんですが。
ふふふ。
彼についても、ここで少しずつ自慢していきます。
日本に帰ってきて、ちょうど2年になりました。
あの頃のブログを夢中で読み返して、なんか自分の数年前の人生なのに、なんか他人の生活、もしくはものすごくチープな小説を読んでいるような気がしました。

全然変わってない。
成長なんて、していない。
だからこそ、あのとき、泣いたり、笑ったり、沈んだり、死にたいと思ったり、こんな恋は初めてだと騒いだり、浮かれたり、そんなあのころの自分の素直さと、真直ぐな思いに、共感しました。
時と、場所が違っても、自分はこんなにも自分で、同じようなことで、同じようなことを思ってる。
同じように恋をして、同じように素敵な友達に囲まれて、同じように飲んだくれて、騒いで、泣いて、怒って、そして、どっかで同じように死んでしまいたいと思っていて、でも死ぬ理由もないような気がして、そして、途方に暮れてる。

"400"というブログから、ある自分の人生におこった大きなことがきっかけで、ものすごく真直ぐな思いから、このブログをあるとき"401"と改名しました。
数年前のことです。
そして、アメリカの生活に区切りをつけ、日本に帰ってきたとき、この"401"というブログになんとなく自分の気持ちがそぐわない様な気がして、ブログの更新を止めていました。
一番最初にこのブログを始めたとき、ある20代前半の友達が「400人くらいの男とは寝た。」という衝撃的な発言をしたことが、元々のタイトルのきっかけでした。
それから数年が経ち、自分が寝てきた男を数えるのも止め、多分1000人くらいにはなったような気もするんですが、それでもその経験は何の意味ももってないし、なにも教えてくれなかったように思います。
400人と寝ても、1000人と寝ても、そのひとたちを好きになっても、愛しても、裏切られても、逃げられても、自分はこんなにも何も学んでいなくて、こんなにも、幼い。
なにも、わからなくて、ただひたすら空っぽです。

それでも、今も、自分は401人目を探して、彷徨い、歩いています。
これがその人だと思うたび、それはするりとこの手を離れていきます。
自分は、今、セックスとはなにも縁のないような北海道の田舎に暮らしていて、401人目を探す旅をしばらくやすもうと思っていたので、このブログを書くのを躊躇っていました。
でも、やっぱり自分は毎日ブログをせこせこと更新していたあの頃から変わることができなかったので、やすむことなんてできるはずもなく、飽きもせず401人目を探しています。
400というあの時最後に数えた寝た男の数を、やっぱり更新し続けています。
時々、401人目なんて自分の人生で見つからないかもしれないなあ、なんて思ったりもするんですが、それでも諦めきれず、ただただ模索していたりします。

ただただ、かわることができなかったので、ブログ再開にあたりブログタイトルを変更しないことにしました。
かわることを諦めて、また胸の内と、それでもそのなかで少しずつかわっていく恋愛観を。人生観を。寝たおとこのひとの数を。
ここに綴って、そしていつか401人目を見つけた未来、日本に帰ってきて2年目でまたばかなブログを再開した今の自分を、他人事のように共感できるように。
やっぱりかわれなかったと諦められるように。
ここに、また自分の今を記録できますように。
ブログでも再開してみようかな。
誰か、読んでるのかな、このブログ。

ちょっと考えてみます。