なんて、今さら。
特に書くこともなくて、っていったら語弊があるんだけど、でも、なんだかんだでごたごたしたり、たくさんの素敵な友達を作ったり。
そんなことで、っていったらまた語弊があるんだけど、でも、そんな感じですっかり。
そう、すっかりと忘れていたことを今日なんとなく、ふいと思い出したりして。
このブログは元々そういうことを書こうと始めたんだったなあと改めて思い出す、そういうなにかがあって、今どうしても書き留めておきたいと思ったので再開することにしました。
いまさら、書いたりとかできるのかしら。
元彼と再会しました。
それは、随分と昔の恋人で、6年くらい前にビザの関係で3カ月くらい日本に帰ってきたときに付き合っていた彼氏でした。
それはそれは、今思い返しても「狂おしい」ということばがぴったりくるような。
なんてちょっとドラマティックか。
でも、恋愛するということや、彼と一緒にいることとか、彼の彼氏であることのステータスだとかそういうことに夢中で一途であれるような、そういう恋愛でした。
ちょっと付き合っていた間に、それはもうなんていうか、正に盆と正月が一緒に来たくらいの慌ただしさでドラマが日々つのるような、生き急ぐような、そういう刹那であるからこその盛り上がりを見せた恋愛だったように思います。
彼と出会ったのは札幌で毎年開催される「GLBT(ゲイ・レズビアン・バイセクシャル・トランスセクシャル)マーチ」に友達に誘われて参加した時でした。
あれは、今思い返しても自分のベストゲイプライドのうちのひとつで、前夜祭から打ち上げパーティーまでもう死ぬほど飲んで、笑って、騒いだイベントだったんだけれど。
そこに一緒に参加した友達グループのうちのひとりの元彼を紹介されたのです。
そういう関係になるべくして会ったというのは、ちょっと照れくさいけど、でもなんの駆け引きもなく、なぜかそれはするりするりととてつもなく潤滑に物事は運び、パレードが開催された数日間が過ぎるころにはちょっと度が過ぎたくらいのカップルになってました。
とにかく彼と出会えたことと、そういう風にことが進んだということと、誰かが自分を考えてくれているという自信に近いような想像力と、次いつ会えるのだろうかというもどかしい期待感と、自分の持っている全部が、ただ、ただ、うれしくて。
それこそなにもないのににへらと笑っているような。
なんか物足りない、それを埋めてくれるのは彼しかいないという、そのパズルのぴったりはまるピースをわかっているような、そういう日常は今思っても甘やかで、いつもどこかで燃えているような、そんな恋愛だったんだと思います。
彼は、自分が住んでいる街から、北海道の山の中を2時間飛ばして、よく会いに来てくれました。
二人で、よくご飯を食べて、カラオケに行って、いやらしい長いセックスをしました。
彼のうちにもいきました。
彼の住む街に向かう2時間のドライブは、なんとなく照れくさくて、運転している彼がうれしくて、いろんな話をしたり、好きな音楽を聴いたりしてすごしました。
彼の友達もたくさん紹介してくれました。
そういう期間限定の恋愛は。
ショーンのこともそうだけれど。
甘い、それは甘い、なんらかの「いい思い出」になるべくして終わるもので。
それは終わることがわかっているからこその、盛り上がりであって。
夏休みのような。
お互いが嫌いだから別れるのではなく、うまくいかないからでもなく、ただ、それは終わることを前提にして始まったものだから。
だから、それはぷっつりと途切れてしまう。
最高潮の、すばらしい日々で、突然に。
アメリカに戻るという、それが終わりだと、ふたりとも知っていたから。
彼が、突然前日に遊びにいくということで、6年ぶりの再会をしました。
もう会う勇気のない自分は前日から飲んだくれて、現実逃避に忙しく、短い睡眠から覚めたらばっちり二日酔い、というかまだ酔っぱらってました。
それでも、あの、シャワーを浴びたり、服をじっくりと選んだり、眉の手入れをしたり、彼に会うための見栄ってなんだろうね。
久しぶりに会う彼はなんにも変りなく。
あのころの時間がしっかりと、きっちりとつながって、そういうしてまた、流れ始めたみたいでした。
彼の横にちゃんと彼がいること以外は。
そりゃあね。
自分だって、6年の間にはこのブログで赤裸々と書いている通り、もういろんな恋愛がありました。
彼にだってそうなんでしょう。
365日の日々は、しっかりとそういうふうに物事を変えていってくれる。
でも。
お好み焼き屋さんに向かう彼の車に乗った時の、におい。
彼のにおい。
五感っていうのは、こんなにも、しっかりと、しみこんで、のこっているのか。
それは、ただ、ただ、あのとき、6年前から変わらない、彼のにおい。
車は変わったのに。
持っている財布も、携帯も、服も、一緒にいる人も、みんな違うのに。
でも、彼も、車のにおいも、まったく変わらない。
でも、それは、もう、自分のものじゃない。
ちょっとふざけて触る彼の髪質も、その好きだった目も、胸の筋肉の付き方も、おおきいおしりの感じも、話し方も、あんまり目を合わせないで話すのも、全部変わらない。
6年も、経っているのに。
こんなにしっかりと覚えている。
それは、決して、まだ彼を好きだとか、彼に彼がいてくやしいとか、悲しいとか、そういう話じゃない。
あのとき、ただただ純粋で、まっすぐに、情熱的に、彼を大好きだった自分が、そこにいた。
その自分にふいとあってしまったことが、ただただ自分を悲しくさせる。しんみりとする。
そういうあのときの自分が一生懸命だった思いを、今の自分が持っていないことに、それをかつて持っていたということさえをも忘れていた自分に、はっとする。
なにしてんだよ、と。
2か月実家でだらだらと暮らしているうちに自分が失ったのは、それだ。
何かに対する情熱と、一生懸命さと、恋愛が持つちからの偉大さだと。
元彼のかわらない車の香りと、笑顔と、温度と、からだのかたちと、声と、彼の発するそのすべてのかんじに、一生懸命だった自分がいたと。
その気持ちを、もういちど。
きちんと、自分のまっすぐに好きだった、あの気持ちを、もういちど手に入れたい。
自分が、そのときそのとき、一生懸命だった、401という数字は情熱だ。
元彼との再会は、なんか自分をしんみりさせて、そうして、自分を奮い立たせる。
そのまんままた自分のものになればいいのにとは、正直思わないではないけど。
でも、今の自分は知っている。
それが本当に、本当に、自分のほしいものではないと。
自分がほしいのは、きちんと自分がまっすぐになれるような、そういうひととまたバカみたいに真面目で狂おしい、そういう恋愛。
そして、6年後の自分をちょっとしんみりさせられるような、そういう思い。
自分が、大好きだと思えるような、車のにおい。
そういうこと。
ブログ、再開します。
いきなりこんな話題もこのブログらしくていいでしょ。
日本での新たな生活で、このブログで、かわらない401の未来を綴っていけるように。
少しずつ、日本でいったいどこで、何をして、どんなふうに暮らしていて、アメリカではなにがあって、どういう風に帰ってきたのか。
ちょっとずつね。
書いていきたいです。
ただいま。