みなさん、ベッドサイドテーブルって使ってますか?

っていうか、ベッドサイドテーブルがない方たちって、どうやって生活してるんですか?

うちは、もちろん使ってます。

っていうか、ベッドサイドテーブルは必需品です。

うちのベッドサイドテーブルには、コンドームや、ローションや、誕生日に頂いた大人のおもちゃもろもろが入っています。

だから、引き出しのないタイプのベッドサイドテーブルは全然ダメで、ちゃんと外からは何が入ってるのかわからないようになってるものを探しました。

そういえば、ボストンに住んでいた時、友達の家に行ったら、堂々とでっかいお徳用みたいなローションがベッドの近くのフロアにどんと置いてあって、衝撃を受けたことがあります。

そうね、みんな当たり前に使ってるものね。恥ずかしがることじゃないのよね。

だから、ボストンに住んでいた時は自分も包み隠さず、ベッドサイドテーブルにはでっかい箱にコンドームをたくさん入れておいてありました。

もちろん、ローションも。

ゲイにとっての必需品です。

中には枕側が収納になっているベッドフレームもあるので、そういうのを使用されている方はそこに必要なものを入れているのでしょう。

でも、たまに、そういう収納類が一切ないベッドというのを見ます。

そういう人たちは、どうやってセックスしてるんですか?

コンドームを使わない?

大人のおもちゃも使わない?

まあ、潤滑油みたいなのを自ら分泌する女性はローションは必需品とはならないのでしょうが、それでもたまに違う穴も使ってみたいですよね。

ああいうの、どこにしまってるのかしら。

ベッドから離れた引き出しなんかに入れてしまうと、ベッドで前戯を終えていざ挿入っていう時は、「ちょっと待ってて」とか言って、真っ裸で勃起させたものをぶらぶらさせたまま、離れた引き出しにそれを取りに行き、戻ってきて、開封して、装着するという、そして、それを裸のわたしはただそれを興ざめた目で見て待っていなければならないという苦行が発生すると思うんです。

っていうか、もう年なので、その間に萎えてまた口からやり直し的なことまで想像できるのです。

ああ、面倒くさい。

それとも常にコンドームをベッドマットレスの下に仕込んでる!?

それはそれで、なんか抜け目がなさすぎるというか、キザすぎるというか、なんか、「え!?いつもそこに用意してるの!?」感がすごいような気がするのです。

 

話は逸れますが、リビングでそういう雰囲気になってしまったときのベッドへの移動の仕方ってどうなんでしょう。

っていうか、布団派の人ってどうしてるの!?

リビングでキス、体を触りあったり、もう、ここで始めちゃおうかくらいに盛り上がった経験は誰にでもあるはず。

20代の頃は欲望に任せてそのままその場で突っ込んだりもOKなんでしょうが、30代にもなるとそれも流石にちょっと。

布団派の人って、「ちょっと布団を敷いてくるね」とか言って別室に移動するのでしょうか。

それとも畳まれた布団の上に相手を落として、服を脱がせながら布団を上手に敷く!?

考えれば考えるほど不思議です。

うちはベッドなので、最初から寝具は用意されているのですが、ぶっちゃけうちの場合は「やろうか」ってなったら、どちらかが「先にベッド行ってるね」と告げて寝室で相手が来るのを待ってることが多いです。

みんなどうしてるのでしょ?

毎回お姫様抱っこで移動とか真面目にやってる夫婦やカップルがいるのであればご一報頂きたいです。

それとも突っ込んじゃってから駅弁みたいにして抱きかかえて移動?

恥ずかしくうつむきながら手をつないで移動?

アメリカ映画みたいにキスをしながら服をぬぎつつ、壁にばんばんぶつかりながらベッドにもつれ込む?

いっそのこと台車みたいなのリビングに用意して、そこに座ってもらって移動?

もう考えれば考えるほど正しい方法がわかりません。

 

さて、昨日は打ち合わせで、コンセントの位置の最終確認だったのですが、結構ベッドサイドテーブルのコンセントの位置で迷ったので、ふと、そんなことを考えてました。

建築会社の夫婦ふたりに「みんなどうしてるの!?」って聞いても、笑って誤魔化され、はっきり答えてくれなかったので、結構ひっかかってます。

みなさんのコンドームの保管場所と、使用時の取りに行きかた、そしてそのタイミング。

もしかしたら、ベッドに何気なしに入り、なんとなく前戯が始まって「お、今日やるのか!?」と勘づいた時点で、「ねえ、ゴム取って」とか言って早い段階から取りに行ってもらってるのかもしれないですね。

なんて妄想が膨らむばかり。

ベッドサイドテーブルは絶対に必要な家具なのですが、逆にうちではベッドシーツは絶対に白は使いません。

何故なのかは、ご想像にお任せします。

ボストン時代から仲良くしてる名古屋のお友達から、新築祝いを頂きました。

一番最初に頂いた新築祝い!

っていうか、まだ完成してないんですけど、でもまあ、ここまでできちゃったら、建築会社が潰れるか、自分か旦那が死ぬとかしなかったら多分出来上がるので、有難く頂戴しました。

お友達からこんな物頂いてもいいのかしらと不安になるようなバーミキュラのホーロー鍋で、見てるだけで幸せになれる素敵なお祝いです。

家にはストウブのサイズ違いが二つあって、大きい方はカレーなんかを作るのにすごく便利でヘビーに使ってるのですが、小さい方はご飯を炊いたり、ちょこっとした一品料理を使う用に買ったのですが、あんまり出番はありません。

正直毎日ご飯支度をするのは面倒なので、大鍋でどかーんと量を作ってそれを小分けにしたりして食卓に出すので、その日食べ切れる量しかできないのはあまり使わないのです。

でも、ホーロー鍋って実は大が小を兼ねないこともあり、適量じゃないとあまりうまく出来上がらないこともあって、カレーを作るサイズだと煮物だとかしゃぶしゃぶをしたりするにはちょっと大きすぎて、その間のサイズが欲しいなあと思っていたのです。

バーミキュラって国産なのは知っていたんですが、名古屋のメーカーなんですもんね!

本当に名古屋出身の友達らしい贈り物で、料理を作るたびに友達の顔を思い出すことになりそうです。

一生もののホーロー鍋、見てるだけで幸せで、とりあえず新しいキッチンができたら、一番最初はその鍋を使って何を作ろうか考えようと思います。

 

さて、「お祝いを頂きたい」という、いやらしい願望があります。

これはゲイとかに関わらず、独身男性女性には理解できる思いなのではないでしょうか。

今まで払ってきた結婚祝いに出産祝いは馬鹿になりません。

30を越えてからは、毎年必ずと言っていいほど払っているような気がします。

最近では、「妊娠したのー!」やら、「結婚するんです。」というめでたい報告も、「ああ、また祝いかあ。」と思ってしまうほど。

お祝いって、自分が祝ってもらえるから、他人のも祝えるものなんですよ。

一方的に祝ってばっかりだと、うんざりする気持ちになるものなのです。

果てには祝いの気持ちも擦り切れて、「お祝い欲しいから妊娠したんじゃないの」みたいな超斜めから物事をみたりとかまでするようになる始末。

そして、一方的に祝うことばかりが増えてくると、不安になるのです。

自分は、いつか、お祝いをもらえる立場になるのであろうか。

ゲイはきちんとした法的な結婚がまずまだ認められていないので、結婚祝いはかなり難しい。

例えばパートナー制度を利用して「結婚に近い形」にしたとしても、流石にそこらへんにいる男女のようにお互いの会社の上司やらにまでは大っぴらに報告をする人は少ないでしょうから、必然とお祝いでもらえる額は普通よりも減ると思います。

結婚式やらを開いたって、多分超地味婚で、「愛し合う本人ふたりと近しい家族と友人だけで」とか言うと聞こえはいいですが、それくらいにしかカミングアウトしていないだけの話で、出席者が少ないことが多いでしょうから、お祝いの数も減ると思います。

じゃあ出産はといえば、レズビアンならなんらかの方法があるのかもしれませんが、ゲイとなれば話は別。

っていうか、種を提供して代理母に出産を頼むみたいな海外ニュースを見たことありますが、あれって誰が出産祝いをもらえる立場なんでしょうね。

とにかく、種を提供しただけで自分で出産していないのに「出産祝い」をもらえるのかは不明だし、大体その場合なんとなく出産祝いをもらえるのは代理母の方のような気がするので、これもダメ。

自分は、それでも、なんとかして、今まで払ってきたお祝いを回収したい。

「そうだ!家を建てよう!」

こういう短絡的な発想も、正直言うとなかったとは言えません。

生きてるうち、一度はお祝いをもらいたい!

誕生日祝いとか、入学祝いとか、ほぼみんながもらえる祝いじゃなくて、自分で祝ってもらえるようなことを成し遂げたい!

今回友達から頂いたお祝いは、自分と旦那がふたり揃ってもらった初めてのお祝いです。

だから、本当に、ものすごく感慨深いものがあって、旦那もものすごく喜んでいました。

まあ、頂いたのがホーロー鍋ということで、レシピ本に載ってるアクアパッツアやパエリアなんかは一度試してみたら、もう面倒くさくて作ることがないので、旦那が「おいしかったからまた食べたいなあ」なんていっても作ってやんないから旦那にとってはぬか喜びであるような気もするのですが、とにかく今の段階では、「おいしいものいっぱい作ってね!」とかいってはしゃいでいます。

本当に、本当に、ありがとう。

 

っていうことで、単刀直入に言うと、祝いたいという人は是非お祝いください。

更にこのブログを読んだ、自分が既に払った人は今回返して欲しいです。

今回が、切実に、唯一のチャンスなんです。

もちろん上司やら会社にも祝いを請求します。

自分が払ってない人は、もちろんくれなくていいです。

でも、結婚したり出産したりしてもこちらからは払いません。

こういうお祝いのギブアンドテイクって、間違ってるんでしょうか。

正直、「お祝いは気持ちだから」っていうのであれば、祝う気持ちは充分にあっても、それが金銭ばら撒いてまで心から祝いたいくらいのものであったのかと問われれば、そうではなかったような気もします。

そういうのって、お互い様なんでしょうね、きっと。

建築会社も、業者も盆休みだったので、しばらく家づくりから離れた普段通りの生活をしていました。

自分は接客業で稼ぎ時なので休みはなかったのですが、旦那は休みだったので、ぐうたら家で羨ましい生活です。

まあ、二人で映画を観たり、ごはん作って食べたり、自分が休みの日には墓参りに行ったり、とりあえずのんびり過ごしていました。

家ももちろん進展しないので、しばらく見にも行ってなかったのですが、なんかこう生活をしていると家を建てていること自体が夢だったような気もしてきます。

もう実際結構建っているのですが、それでも、「なんかこんな家に住みたいねー」なんて二人で話しながらも、結局は今のアパートに暮らしながら、年に何度か旅行に行き、ローンを背負うこともない自由な生活を送り続けるような錯覚に陥るのです。

まだ、建てる前に戻れるような、後戻りできるような、そんな気持ちです。

 

そんな気持ちに流されて、来月、二人で今年初めての温泉旅行に出かけることにしました。

とにかくお金をセーブすることだけを考えていた一年間だったので、旅行は最小限に控え、建築会社と行った札幌旅行(打ち合わせ)が唯一の旅行でした。

とりあえずなんとかゴールが見えてきたので、気持ち的にも余裕が生まれたのでしょうか。

また建っちゃうとしばらく家具なんかを取り揃えたりするのにお金が必要で旅行にも行けなさそうなので、とりあえず行ける時に行っておこうかという感じです。

9月の北海道はどこのホテルも高く、行先や宿をああじゃない、こうじゃないと決めたり話あったりとかしていると、なんとなく家のことが頭を過り、「なんで建てようと思ったんだっけ」なんていう根本的な疑問が湧いてきたりもします。

このままでもよかったのに、なんでわざわざ大変な進路を自分は選んでしまったんだろうと。

これからはお金もかかるし、家のメンテナンスも大変だし、普段の家事の量も必然的に増えるし、そうしたらもっと外に出かける機会なんて減ってしまう。

家のことにかかりっきりになる。

それなのに、なんで一年前の自分は家を建てようと思ったんだっけ。

そうして、「ああ、旦那とそういう大変な思いを二人でしたかったんだっけな。」と思い出す。

そういう共通の大変さを共有した、普通の夫婦になりたかったんだっけと。

縛られないというのは、自由であるということで、いつでもリセットできるということであると。

例えば旦那と別れるという将来が待っていたとしても、去年までは二人で背負うものが何もなくて、それがすごく不安だったことを思い出す。

家を作って、縛られたいと。

二人で背負うものを作りたかったんだと、もう後戻りができない今、去年の自分の決断を懐かしく思い出す。

この家づくりに取り掛かってきた一年は、きっと去年の自分たちとの関係を変えたんだと思います。

それは、社会的責任のある二人という存在に変え、旦那とふたりでしっかり向き合って、将来の意思確認をする、そういう一年間であったような気がするのです。

 

ちょっとお盆で家づくりから離れていて、ああ、また家づくりの生活に戻るのかあ、とちょっと憂鬱にも近い気持ちでいたのですが、早速今日盆明けの建築会社から、「月曜の打ち合わせですが、午後1時に事務所にお越しください。」と連絡があり、ビンタを張られたような気持ちで、しゃんと背中を伸ばす。

「建て込み」が始まります。

建築会社、大工、業者、全てが集中して自分と旦那家の完成だけを目指して建て込んでくれます。

今日から外壁工事が始まり、月曜には打ち合わせと、大工が家に戻ってきます。

そこから外構工事契約、外構工事開始、シンボルツリーも選びに行かなくちゃいけません。

このまま、休みなく完成まで突っ走ります。

なんで家なんか建てようと思ったんだっけ、なんて言ってる暇はありません。

これから気合を入れて、悔いのないように最後の家づくりを楽しみたいと思うのです。