※これは、あったかもしれない時永一家のお話。
思いつき連載「燕尾服のその奥に」
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「あっづーい……」
「大丈夫ですか?」
完全にへばってしまった「彼」を見つけたのは実に15分は前のことだった。
季節は8月。更にこの猛暑だ。
自分もさすがにジャケットは脱いでしまっているし、シャツだって腕まくり……だっていうのに。この人は。
「……うぅ……」
……可哀相なことに。
全身、モッフモフなのだ。
荒い息に背中をさすってやり、更にはやれ、サマーカットだと鋏を持ちながら、知らず知らずに首をかしげてしまう。
どこをどう……どこまで切っていいのやら、毎回だがまるで見当がつかない。
うつぶせに力尽きているその巨体に気がつき、鋏を入れるのもこれで4度目か5度目の話だ。半ば凍っている温度のスポーツドリンクを与えつつ、背中に馬乗りになって頭から少しずつ切りそろえていく。ほぼ全身を1cmから2cmぐらい、均等に刈っていく。
「ざっぱでいーよ……誰に見られるわけでもにゃーし……」
「大雑把でいいとは言われましても……一番最初のは流石にひどかったでしょう。少しぐらい気を使わせてくださいな」
チョキチョキと鋏の鳴る音。
彼の眼前に置いた扇風機のモーター音がずっと聞こえて、沈黙がおりる。
「……あのさぁ」
「はい?」
「最近、どうなの、奥さん」
「ああ……あまり、変わりませんね……」
「そっか」
「ええ」
「休みとか、ちゃんととってんの?」
「とってますよ」
「こき使われたりしてない?」
なんだか彼と話していると、何故か独り立ち直前の子供と話しているような気分になるのは気のせいだろうか。
彼とひとつ違いだったはずだが、「以前の時永くん」にはそんなことを思ったことはない。栄子は少しあるようだが、自分はない。
というかそもそも子なんていないのでわからない、が正しいか。
いや、彼は自分と似たような性格だと思っていたから、例えるなら後輩のように思っていた、というのが一番近いだろうか。
だが目の前の彼は……イヌカイさんは彼とひとつ違いなだけのはずなのに……体もこれだけ大きいし、元々のサイズだって随分がっちりしていたはずが、どうも見た目より幼いような気がしてしまう。
いや、もしかしてだが。
「『イヌカイさん』こそ疲れてませんか?」
「暑さに疲れてますよぉ」
「そうじゃなくて」
「何です?」
「……お兄さんぶるのに疲れてませんか?イツキくんがいるんだからしっかりしなきゃ、ミコトちゃんがいるんだから元気でいなきゃと思って気を張ってる、とか」
確か彼にはお兄さんがいたと以前、雑談時に聞いた。
……もし彼が根っからの末っ子気質だったら少し、気疲れしてしまうに違いない。
「……ガキは嫌いじゃないんだけどさ。疲れるのは違いねえや、ね」
「そうですか」
「でも、だからこそ馬越さんがいるんだわ」
「私が?」
聞くと、苦笑が返事にかえってきた。
「年上の男が身近にいると落ち着くんだよ。この人相手には年下でいていいんだ、って思うとさ」
「そんなものですか?」
「やれ、兄貴だからしっかりしろとか兄貴だから我慢しろとか言われてるのを見て、『ほう、そういうもんか』と思って、弟としては育ってきてるから」
「ああ……なるほど」
年下として甘えてくれているんだろうか。
「お兄さんですか、お父さんですか」
「は?」
「あなたから見て、私は」
ふっと面白くなって聞いてみると、イヌカイさんは笑いながら答えた。
「……お兄さんはないなぁ。俺の兄貴像って、随分おちゃらけてんぞ」
「だからおちゃらけてるんですね普段」
「兄貴が陽気で器用なクレイジーサイコパスだったからな」
「それどんなお兄さんです?」
時永家の家長以上にクレイジーでサイコパスなクソ野郎など、大真面目にいないはずだが。
「……優しいお父さんだよ、アンタは」
「……そうですか?」
「横暴な長男坊に」
「あんな長男坊要りません」
「空回り気味の俺」
「次男ポジションですかあなたは」
「……思春期で情緒不安定な三男坊イツキ。んーと、ミコトは……末っ子か、孫か、どっちなんだろうな」
「年齢的には孫でしょうねぇ」
そうか、家族に例えるとそうなるか。
「想像とはいえ、随分といびつな家族構成ですね」
「現実のコレよかマシだろ」
「それもそうだ」
「終わった?」
「……ごろんしてください」
「あ、ハイ」
……彼がうつぶせから仰向けに寝返ると、毛わたがごっそりと落ちた。
うん、あったかそうだし絶対暑い。
いかに重要な作業なのかが身にしみるというものだ。これが自分なら既に熱中症で死んでいる。
「……わーあ、『あなたトトロっていうのねー』」
「それミコトが言うから笑えるんでしょうが。一周回って爆笑すんぞ」
「冗談ですよ、ちょっと……小刻みに動かないでください」
お腹に馬乗りになりつつ、周辺を切り揃えていく。
あまり切りすぎると不恰好だし、当人は涼しそうだがミコトが膨れるという散々な結果になるのだ。
暑苦しいことに彼女はイヌカイさんのお腹をもっふりとハグするのが大好きなのだから。
「……女親がいないですねえ……」
「今更だな」
「今更ですよねー……」
ミコトの将来が心配だ。
「どうせならイツキじゃなくて違う可愛い子にしとけば男女比はマシになったんじゃないか?ほら、割合違和感ないだろ、あのポジション。お兄ちゃんじゃなくてお姉ちゃんだったりしても」
「……最初はその予定だったらしいんですよ」
「まじかよこえぇな」
「西洋だと木の精は女の子だって相場が決まっているでしょう」
「そうなのか?」
「らしいですよ」
そうすると誰が来る予定だったのやら、とイヌカイさんが考えたのがわかった。
「なぁ、馬越さん」
「なんです?」
……顎の下のカーブがうまくいかない。
ちょっと切りすぎてしまったかもしれない。
「……そういや、他にも何人かいなくなったのがいたよな、あの学校」
「そうですね」
「生徒会長がいたんだが」
「思いっきり死にました」
こともなげに、言ってしまう。
ごまかすことなんて疲れてしまったから。
「……そ」
「はい」
「いたらいいお姉ちゃんだったろうな、アレ」
「性格はわかりませんが……育ちの良さが所作に出てましたね」
「そりゃあ、在りし日の時永と並ぶ家柄だって話も聞いたからな。この家って凄かったんだろ?ちょっと前まで」
「らしいですね。ちょっと前まで」
先々代までは文句無しに名家だったらしいのは、物置を整理していて系譜の纏めやら謎の刀や茶器が出てきたりしていたのでよくわかる。
先代……時永の養父も大した実業家だったが、彼は婿養子。
本来の後継だった養母は買い物中毒で貯金を一時マイナスにしたらしいので、一気に腐ったとしたらそこら辺だろうか。
「しかしなるほど。前から彼が目をつけていたとは思ってましたが……そういう理由ですか。まぁ、駄目でしたが」
「何がどう駄目だったかなんて知らねえし知りたくもねえけど……んで、ネタが切れてイツキか」
「……懐いているから引っかかりやすい、と」
「お見事」
皮肉げに彼は口を動かした。
「三男坊の爆誕、ってわけだ」
「……そうですね」
ひゃー、と微かな歓声が聞こえた。
ミコトがイツキくんと遊んでいる声だろう。
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※毎年狼男の行き倒れが発生している時永邸。(爆)
リーダーポジション・イヌカイさんと長老ポジション・馬越さんの1対1の会話というのも、思えば本編では殆ど書かれていませんね。
書かれてないだけで結構ペラペラしゃべってます。
まあこんな感じ。
しかし散髪ならともかく、全身刈られるのもイヌカイさん的にはシクシク来るんだろうな。元人間だもの……(泣)
このお話は連載終了した「××」の外伝的なお話です。
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現在は第3部「10.忘れさられたぬくもりの夢」まで来ているぞ!