100万人に無視されても、一人振り向いてくれれば幸せじゃない? | worldendのブログ

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インドアでロウな生活


今日、田舎から首都へ戻ってきました。

首都は、日本と変わらず、夜景というものがあり、

大きなビルは夜も働いているようでした。

田舎では、16時を過ぎると皆がいそいそと帰り支度を始めます。

結局19時とかに帰る我々が最終組であり、戸締りをして帰っていました。


都会もタイムスケジュールは同じですが、

人が多い分、例外も多く、たくさんの人が夜も仕事をしています。

こうなると、あまり日本との違いを感じません。

電気も安定してますし、ネット環境も上々です。

また、田舎で、どこを探しても見つからなかったマッチ箱が、

ホテルの各部屋に置いてあるのをみると、

都会では当たり前にあるのだなとなんとなく感慨深かったです。

どちらがよく、どちらが悪いという話ではないですが。


そういえば、田舎で2つのニュースがありました。

1つ目は、職場の近所で起きた交通事故です。

オートバイタクシーと車がぶつかって、オートバイ運転手は死亡、

車は逃走しました。

職場のスタッフが「被害者とはすごく仲が良かったのだ。」

「それだけに信じられないし、悲しい。」と言っていました。

どのくらい親しかったのか聞いてみると、2-3回、そのバイクタクシーに

乗ったことがあるらしいです。

すごく親しいかは判断に迷うところですが、彼のショックが相当である

ことがわかりました。


もう一つは、殺人事件です。

今日、田舎の空港に向かう途上で、

人だかりができていました。

聞いてみると、夜、強盗が押し入り、ナイフで住人を殺して逃走したようです。

100人以上の人が、それぞれに憤慨し、悲嘆に暮れていました。

でも、被害者は一人暮らしで、親しい親族は近くにいなかったようです。


彼らを怒りと悲しみに駆り立てる背景には、

「他人事ではない感覚」、

「明日は我が身かもしれない」

という切実な思いがあると思います。

死亡事故や事件が多いからといって、それに住人が慣れることはありません。

どうしてこういうことが起きてしまうのか?

切実な共感からくる悲憤、怒り。

今生きていることを神に感謝する気持ち。

複雑な思いが胸にうずまきながら、現実を受け止めているようでした。


日本や先進国で自殺が多いといったら、彼らはなんと思うでしょう。

それぞれの事情があり、簡単なコメントは避けるべきです。

生物として、死をもっとも恐れ、避けるのが普通。

にもかかわらず、それでも死を選ばせる背景。


どちらにも根深い事情があり、それはすぐに取り組むべき課題ですが、

一朝一夕にはうまくいかないでしょう。

完全な答えを求めるのでなく、粘り強く積み重ねていくことが大切なのでしょう。


こと後者については、

その前に、あなたの大事な人のみでなく、

あなたを大事にしてくれる人の顔を思い浮かべる。

今の私には、この程度しか思いつきません。