worldendのブログ

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インドアでロウな生活

張り切ってスタートしたのに

あらたな生活になじめず

落ち込む日々

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最近、引っ越ししようかと、物件を回っています。

賃貸アパートを短期で借りているので、引っ越しは自由です。

今の部屋には光が入らない部屋があり、Dead spaceになっているからです。

うなぎの寝床といわれるだけあった、縦長の造り。

窓側から離れると、光が届かないのです。


それで、同じような値段で同じような広さの部屋を見ています。

どこも、いいところと、気になるところが共存しているものです。

同じような部屋なのに、少しずつ違う。

エレベーターがついていない。

なぜか寝室がガラス張り。

窓の外側に、さらに壁がある(窓の役割は換気か?)

やはりDead spaceがある。


そういった中で、「ここは難しいな」という物件に、一つの共通点を見つけました。

それは、におい。

なんかよくわからない臭いが部屋に満ちている。

部屋というか、建物全体に臭いがあるところが多かったです。

一時的なものか、それとも常になのかは、わかりかねますが、おそらく後者でしょう。

普段は、においはあまり気にならないほうですが、

住むという点では、結構においは重要な要素なのでしょう。


目で見て、鼻と皮膚で空気を感じて、耳で音を聞く。

住むことには、すべての感覚が含まれる。

すべてを満たすことは難しく、気に入るところというのは、何か重要な要素を見たいしてる場所かもしれません。

これまで住んできた場所を考えてみると、自分の住環境が見えてくるのかもしれません。


わあわあ語ってきましたが。

結論から言うと、今回は引っ越ししないだろうなと思います。

1月頃から、再度こちらに赴任したが、今回は今までにも増して士気が下がっている。

協力者もさることながら、私の士気が下がっている。

理由は簡単だ。

後方支援がないこと。


私は現地に行き、いわば最前線に突入を命じられた。

誰かがしなければならないから、私が来た。

まずは現場を確認し、必要なものをリストアップする。

状況を報告し、後方に支援を乞う。

1回、2回、3回。

・・・

まるで反応がない。

無線機の故障か?

いやいやメールだから。


まさに前線で孤立した状態の私。

後方から救援部隊が来る気配はない。

何の音沙汰もない。


私は、壊滅する日が近いことを感じている。

座してその日を待つよりは、突貫して一か八かの玉砕か。

だが、士気が下がり、それもうまくいく気配はない。


こうして異国の地で、一敗地に見えるのだろうか。

私は何のために。

信じるものが自分しかないなんて、世紀末のようだ。

でもこれも現実。

世紀末的世情の新年、われわれに、いや私に光はあるのか。


続く・・の?

この状態は続くのか?

最近、ブログに書くべき様な些細なことを、友達にメールで伝えてました。

返事はいらないと断っていたとはいえ、これはかなり迷惑だったかなと思い直し、

さっそくブログを活用させてもらおうと思います。


正月休みが終わり、喧騒が街に戻ってきました。

中華圏は、毎年2月初めに月歴の新年を迎えるのです。

その休みを終え、店に人が戻り、道路に露店が戻ってきました。

ハノイ旧市街には、通りごとに小さな店が連なっていて、商店街?を形成しています。

その一角をぶらぶら流しながら、用もないのにお土産物屋に入ったりしました。

誰が買うのだろう、こんなに多くのものを。


「モノはなるたけ持たないほうが良い」という言葉を思い出しました。

彼女はどういう気持ちだったのでしょうか?


私は、「持つということは必ず失うときが来る」からなのだと思います。

形あるみのは、必ず形が変わったり、失われたりするときが来ます。

形のないものでも、時間という抗いのないものによって、形を変えていきます。

そう考えると、自分が一生をかけたいと思ったものに出会えるのは、幸運です。

それが続けられるのなら、それはもう奇跡でしょう。

そういう仕事がしたくて、人々は悩んでいるのかもしれません。


もちろん、続けていくことで、それがそれだけの価値を持っていくこともあると思います。

こちらの方が、一般的かもしれません。

ある人が、「それを選ぶ、続けられるってのは、それだけで才能があるってことだ」と言っていました。

そんなことを思い出しながら、街並みを歩き、教会まで行きました。

日曜日の教会には、多くの人が集まってきて、それぞれに祈りを捧げます。

その姿を眺めながら、夕暮れ前のカフェでコーヒーを飲みました。

しかるべき人ならば、雰囲気のある話になるのですが。


表題は、私がメールを送ることで、相手がパートナーから誤解を受けるかもしれないと思ったことに起因しています。もし私がパートナーだとしたら、やはりよからぬことを疑うかもしれません。

ですから、こう取り留めのないことは日記に綴るのがいいでしょう。