最近、ブログに書くべき様な些細なことを、友達にメールで伝えてました。
返事はいらないと断っていたとはいえ、これはかなり迷惑だったかなと思い直し、
さっそくブログを活用させてもらおうと思います。
正月休みが終わり、喧騒が街に戻ってきました。
中華圏は、毎年2月初めに月歴の新年を迎えるのです。
その休みを終え、店に人が戻り、道路に露店が戻ってきました。
ハノイ旧市街には、通りごとに小さな店が連なっていて、商店街?を形成しています。
その一角をぶらぶら流しながら、用もないのにお土産物屋に入ったりしました。
誰が買うのだろう、こんなに多くのものを。
「モノはなるたけ持たないほうが良い」という言葉を思い出しました。
彼女はどういう気持ちだったのでしょうか?
私は、「持つということは必ず失うときが来る」からなのだと思います。
形あるみのは、必ず形が変わったり、失われたりするときが来ます。
形のないものでも、時間という抗いのないものによって、形を変えていきます。
そう考えると、自分が一生をかけたいと思ったものに出会えるのは、幸運です。
それが続けられるのなら、それはもう奇跡でしょう。
そういう仕事がしたくて、人々は悩んでいるのかもしれません。
もちろん、続けていくことで、それがそれだけの価値を持っていくこともあると思います。
こちらの方が、一般的かもしれません。
ある人が、「それを選ぶ、続けられるってのは、それだけで才能があるってことだ」と言っていました。
そんなことを思い出しながら、街並みを歩き、教会まで行きました。
日曜日の教会には、多くの人が集まってきて、それぞれに祈りを捧げます。
その姿を眺めながら、夕暮れ前のカフェでコーヒーを飲みました。
しかるべき人ならば、雰囲気のある話になるのですが。
表題は、私がメールを送ることで、相手がパートナーから誤解を受けるかもしれないと思ったことに起因しています。もし私がパートナーだとしたら、やはりよからぬことを疑うかもしれません。
ですから、こう取り留めのないことは日記に綴るのがいいでしょう。